ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

春がきた

「とうが立つ」と言う
「十が立つと、五は座るのか?」と言うオヤジギャグを一発

食用の草で花芽がすぎて、茎が固くなる事を言うらしい
茎のことを「薹(とう)」と言う。
五十過ぎた女性のことを(50にするか…40にするか…迷った)
「薹の立ったおばはん」というらしい。
一般には「盛の過ぎた女性」と言う意味らしい
私のまわりは”特殊”だから、そんな人はいない(断言)
みんな素敵に齢を重ねているお姉さまたちである。
(売上に響くから、ここ重要!)

 

その「薹」である。
春になれば「ふきのとう」である。
「蕨(わらび)や蕗(ふき)」と春の山菜の代表格に称せられるが
蕗は”薹”も、名前が売れている
ところが蕨(わらび)の「薹」は、聞いたことが無い。
何故だろう?考え始めたら眠れなくなってきた。
蕨に薹(「わらびとう」(花茎)は無いのだろうか…

ちなみにこちらの言葉で「蕗の薹」は「ばっけ」と言う
ネットでさがしてみたら、こんな文章を見つけた

引用 北のフィールドノートから…(http://snowmelt.exblog.jp/9955361/)
これらが何から由来するか。更科源蔵・光著のコタン生物記にはこうある。
「本州でもフキノトウのことをバッカイとかバッケイと呼ぶところがあるが、これは元来アイヌ語である。
パッカイ(破裂音筆者注)とは子供を背負うことで、フキノトウが雪の間から丸く花を背負うようにして出てくる姿に名づけたものである」とある。

そんな蕗の薹が、あちこちに出始めてきた。
それをこまめに摘んで石鳥谷の熊谷哲はパック詰にしてきた。

魔子さまは、その”春の苦味”を天ぷらに揚げ

久慈市山形町の短角考房北風土の短角牛を”春雨”とともに麻婆にし、
鹿児島の紫甘藷を”春巻”にした。

 

そして一品デザート
”さくら”のフィナンシェ」という焼き菓子を添えて

三寒四温の卒業式の弁当に
一足先に春が来た。

 

またひとつ

さわや書店が、閉店すると言う
「honyaクラブ」のメールで回ってきた。
そういえば近頃、足が遠のいている。
いや、いけば何冊か抱えて出てくるのだが…
読みきれないので、いかないようにしているというのが現状だ。
これ以上、トイレに籠る時間がない。(泣)

 

閉店するのは、上盛岡店だという
一番利用する店舗だ。
なんと言ったって、病院の直ぐそばである。
待ち時間が、ちょっとあると寄る。
待ち時間がなくても、時間を作って寄る。
そのたびに読みたい本が、どんどん積み上がる。
部屋の中は崩れかかった新刊の本と、読みかけの本が雑多である。

これ以上は、死ぬまで読みきれるか…と言う状況である。
そういえば中学の時に購入した本もある。高校のときも…
「本を買う」といえば、小遣いをくれた母親だった。
もういちど読み直したいと思っている本が、山ほど…

そんななかさわや上盛岡店が閉店するという。
もう近くには、三割東山堂しかない。
あそこは、レコードと漫画と週刊誌しかない。
読みたい本が、あまりない。
と言って、「駅前さわや」まで行くと駐車場代がかかる。
1000円の本を買うのに400円駐車場代にかかって、どうすんだ
ついつい元を取ろうとして5〜6冊まとめ買いをしてしまう
それならアマゾンのほうが…合理的だ。
しかし本という文化を、合理的経済発想で決めていいのか…
小心者は悩む。

 

そんなわけで上盛岡さわやに行った。
また一つ、ちいさな文化が消えるのを確かめに…

ふと財布を見ると1400円しか無い
これでは何も買えない!と思いながら、二冊読みたい本を見つけた。
ぎりぎりだ
と思って札束(?)をだして、サワヤのカードと一緒に出した。
カードはポイントが溜まっていた。
「59円です」と店員が笑いながら言った。

まだ買える(嬉々)

あの人は…

最近、来ない人がいる。
あの人は今?と言うわけではないが
毎日のように来ていた人が来ないと、何故か気になる。
魔子様はあっけらかんとして
「来ないね…」と言うと、「すぐ来る」と言う
そういう時もある。

先日、「転勤なるかもしれない」
と挨拶をされた。
全国区の移動だから、当然店に時々来る訳にはいかない。
ひょっとして永遠の別れかもしれない
挨拶されるのはいい。
盛岡で、そういう関係を作れたと言うことである。
よく来て、何を食べるかもわかって、いつの間にか来なくなる人は
「そういう関係が、つくれなかった」と言う反省をしなければならない。

 

そんなことを考えると、街というのは変動が激しい。
いつの間にか…変わっている
周囲の団地もサラリーマンが多かった時代から定年夫婦になり、それが独りになり、子どもたちもあっという間に都会に出ていった。
そうこうしている間に、まわりに都会育ちの若者が多くなってきた。
なぜ?と思ったら両親が故郷に帰ったきたので一緒に…と言う。
若者のIターンは少ないが、中途でUターンで帰って来ている人が結構いるのかもしれない。
小生も一度帰ってきて、再度都会へ出て、再々度帰ったきた。人はWターンと言う。
「田舎は仕事がない」と言いながら「仕事は作るものだ」という発想になれば、働く場所は作れるものだ。

そう考えれば、地方の時代である。
若い人たちの卒業式のシーズンである。
アナウンサーはいつも言う。「残らないのですか?」
一様に「働く場所がないので…」
希望を持って都会に出ていくのだろうが…
都会とのつながりを持ちながら、田舎に帰って来ればいい
いざとなったら、半分都会で稼げばいい。出稼ぎのように…
旧来の出稼ぎでなくて、新しい発想の出稼ぎを…
自分の都合のいい金を、もらえるような働き場所は、都会でも無いのだ。

あの人混みの中で暮らすことを考えれば…
人間が人間らしく暮らしていくことができる場所は、都会には無い。

帰るタイミングを逃すと、高齢になってデパートの踊り場にたむろする老人集団になってしまう。

6年前

『手術中は、動けないからね」と手術の説明をした医師は、言った
「咳をしたかったら、手を挙げて…トイレに行きたかったら手を挙げて…眼球に注射針を刺したままストップをしますから…」
と恐ろしげなことを言って…白内障の手術は
「3月11日午後3時から」と決まった。

昨年秋から、変な黒い蚊のようなものが飛ぶ。
本を読むと老眼鏡が曇っているのか、字がかすむというか、曇りガラスを通して字が見える
パソコンも、モニターが一分かすんで読めない。
呑みに行ったみかんやでmicannに「白内障だね」と言われて安心した
これが緑内障だったら偉いことだ
白内障は、簡単な手術で治ると聞いていた。

先日も佐藤政行の社長が「いやぁ白内障を手術すると感動するよ。わたしゃ15年ぐらい前で…。片目だけ、本当は両目をしないと行けないのだが…」
みんなが言う。白内障の手術は、社会が明るくなる。何でこんなのを早くしなかったのだ。社会はこんなに明るかったのだ。
その感動の白内障の手術を中央病院の4階眼科病棟で、3月11日午後3時に待っていた
「今日は、早く進行しているようだから、15分ぐらい早くなるかも…」
と言いながら看護婦は、ホウレン草に味の素をふるように何回も点眼薬を差していった。
「これは殺菌の…」「これは麻酔が入ってます…」

「そろそろ手術室から、お呼びが掛かるかもね」
「もうすこしで…」
「そろそろ…」

と言いながら、それは来た。
6人部屋の二人のベッドの携帯が鳴った
ピーピーピー「緊急地震速報」である

そして

ごお〜

横揺れの大きな揺れ
通りの方に大きく傾く建物。
そして、反対側に反動で大きく揺れる

長い。なが〜い。揺れ、ベッドにしがみつくモノ
看護婦が、病室に入ってこようとして、逆方向に持って行かれる

しばらく、それが続いただろうか?
揺れが少し落ち着き
一斉に、ベッドの脇のテレビをつけた
「震度6強」が見えた
震源地がなかなか表示されなくて、余震が続く

そのたびに看護婦達の叫び声と
眼科は小児科と一緒の病棟なので、子ども達の叫び声が混じる
以前入院していた時にも、地震があった。
看護婦は「震度7まで耐えられるように設計していますから…」と言い放った。
もう中央病院は、小生の庭である。なんでも知っている。

そのうちに「一部屋にテレビは一台にしてください。自家発電に切り替わりましたので…」
しかたなく、長老らしき人だろうか…隣は宮古の人だろうか…、
そのテレビを遠くから眺めていると…
なんだか川のようなものを家か船か…登ってくる。
「えっ〜なんだ、あの絵は…」
宮古から来ていると言う年寄りは、ぼつりと
「宮古だ」と言う

次から次へと衝撃的な映像を見たような気がするが…
とりあえず動転して、
”これは普通ではない、とりあえず病院を出ないと…”

そこへ眼科の医者が
「こういう状況では、手がぶれて手術ができませんので中止します」と
「外出していいですか?」「外出許可を出します。必ず戻って…」

人を受刑者みたいに…言う

とりあえず病院を出た地震から1時間も経っていただろうか?
病院の前の通りは薄暗く、街路灯も信号も、消えている

バイパスは信号がないので交差点は混雑。
工事中に落盤事故を起こしたという北山バイパスを、おそるおそるくぐって

ろくに飯を食っていない、と言うよりも飯が食えない身には、歩くのがふらふらでつらい
身体に力が入らない、足があがらない、前に行かない。

ようやく通じた電話で店から迎えに来て貰った。
真っ暗な店に着いたのは5時半だった。

6年前3月11日のブログをコピペした。
風化させないために…
自分にとっては、1.17の神戸の大震災は妹が、神戸に住んでいた。
3.11は、内陸であったが当事者であった。
この二つの自然災害は、風化しない。自身の問題として体験したことだから…

自身の問題となっていないとこに、風化はある。
原発の再稼働のように…
政治家は、自分の問題として想像することが求められる
多くの政治屋は、想像力が欠如している。

やめますか?減らしますか?

「牛肉が高騰している」という。
当店は野菜中心だから、牛肉は赤身の肉牛「短角牛」しか扱っていない。


その短角牛も「値段を上げたい」と短角考房北風土から言ってきた。

値段を上げるには

正当な理由が、なければ…
そしてその理由が、お客の理解を得られなければ…
ただ、地方経済は疲弊している。
そんな中、値段を上げることで購入が減り、
北風土との間を取り持つ小生とお客様の三者の関係が、壊れるようになると…

そんなことを話をした。
すこし、牛肉高騰の整理をしてみたい

そもそも牛肉を食べる習慣は、東北では最近のこと(ここ50年)である。
山形の米沢牛が有名であるが、学生時代、山形出身の同級生は
「すき焼きを、やろう」と言う言葉で「豚肉を買ってきた」と今でも笑い草である。
しかし、笑えない。
東北では当時、すき焼きは「豚肉」だったのだ。
久慈の山形村の短角農家に聞いても
「牛は商品だから…。
大地を守る会に”自分で作っているものを食べてみなければ…”と言われて
始めた食べたのが…昭和50年」と言う。

そもそも肉食自体が公になったのは明治からであり、
それまでは薬食いと言って、やむなく死んだ家畜を部落で隠れて食べていたのが民衆の食べ方であった。
だから肉食の歴史は、浅いと言わざるをえない。

その日本が、経済成長を遂げて牛肉が食べられるようになり、小生が就職した頃昭和40年代後半に「牛丼の吉野家」ができた。
当時、勤めていた商社は、吉野家に豪州産の牛肉を納品していたため
上司から「牛丼の消費拡大に務めるよう」といつも牛丼を食べていた。
その牛丼に使用した牛肉は、後から聞くと
「それまで食べられない肉(横隔膜)をうすくそぎ切りにする機械ができて、それを加工している肉だ」と言う
科学技術の進歩が食を変えたのである(?)

つまり牛肉の消費は経済成長と共にあったのだ。
今、中国の経済成長が著しい。
中国は豚肉食の文化なのだが、経済成長に伴って美味しい牛肉にシフトしている。
その中国に買い負けているのである。
そして牛肉の消費は、牛丼屋だけでなく、ハム屋や肉加工の職種が日本には様々ある。
扱い量は国産牛よりも、遥かに多いと言わざるをえない。
その扱い量が多い日本ハムなどの食肉加工メーカーは、企業存続のために原材料の確保に必死です。
その海外からの牛肉の仕入の増加と国産食肉加工メーカーの原材料確保、
それに輸出国アメリカの干ばつ、
そんな外的環境の変化と国内では生産現場の減少が拍車をかけて、牛肉の高騰が続いているのです。

牛肉は特殊な生産をしております。
「繁殖」と「肥育」に農家は別れます。
つまりメス牛に種付けをして子牛を産ませて販売する繁殖農家
その子牛を買って、育てて成牛として販売する肥育農家
これは生産現場が違う工程のために、一貫生産すると多大なコストと手間がかかるためです。
その子牛を生産する繁殖農家は、零細農家がほとんどです。
少数の母牛を飼って、子牛を採り販売している農家は、後継者難で、どんどん離農していきます

つまり世界では経済成長で買い負けし牛肉が不足し、国内では子牛の取り合いで高騰している。
というのが現実です。

この現象は、一時期上げ下げが有っても上げ基調は続くでしょう。
一番の問題は、エサが穀物だということです。
地球の人口が60億、あと30年後には90億となると言っております
つまり、こんどは穀物を牛と人間が取り合うことになるでしょう
そんな時に、人間を犠牲にして牛の餌を作るような事が許されるバズがありません。
それは国家ではなく、単なる金の亡者か、食糧を武器にした世界戦略としか考えられません

そうなると短絡的ですが、かんがえられることは牛肉を食べるのをやめる、少なくする。
他の肉に替える。肉を食べない。という選択です。
そんな時代が来るのか…

と思いながら…
そもそも肉食というのは日本は最近の出来事である。
と言って古くからの魚食も、買い負けし、沿岸漁業も衰退していると言う。
中長期で考えると、動物蛋白の補給は悲観的な見方ばかりになってしまうが…

今目先、値段は上がる(泣)
牛肉、食べるのやめますか…減らしますか…

てらこや

「哲学寺子屋」が終わった。
そろそろか…と思っていたから
大げさに言えば、その時が来たという感じだ。

平成11年だろうか…スタートしたのは…
足掛け18年、長い期間だった。
ヒトが大勢集まったときは20人近くになった。
最近では2〜3人ということが多くなった。

哲学者内山節の著書の読書会で始まったものだが…
もう三冊目を終わろうとしている
三冊目「「清浄なる精神」は、まだ読みかけであるが…

「哲学とは何か?」と言う問いかけに、答えられない体育会系の営業畑の入道である。
日々、売上を上げることに没頭していた20代30代、
農業という仕事に出会って、その生産性の低さ、それに生かされているという驚きの40代。
哲学者内山節と出会った40代後半。
そんなことから立ち上げた哲学寺子屋であるが…。
哲学は、人間の本質を明らかにするものであると言う。

人間とは何か…
本質とは何か…

そんな疑問もすべて放り出して読書会を進めてきた。
それで良いと想っている
哲学が、そばにあることが大切なのである。
人間の生き方を問い、本質を探る哲学が、遠くに有っては意味がない

農業と一緒である。
”食べないと生きていけない”という人間にとって一番必要な農業が、近代化という波におされ、遠くに行き過ぎた。
そして「農業は難しい」「農業はつらい」「農業は効率が悪い産業」
と様々に言われ、衰退して行った。(後継者難や農地の荒廃)
しかし、最近のメディア取り上げ方の影響で「農業は近くにやってきた」
そして今、見直しの機運が起きている。
農業は簡単である。光合成で、みな生かされているだけである。
しかし光合成は、いかに効率よくしても、単位面積あたりの無料の日射量が限られているから生産量は増えていかない
農家の仕事は、光合成を最大効率化するだけの管理が求められるが、それも限界がある。
しかし、豊作だから腹いっぱい食べて、飢饉だから食べなくても良いと言うことに人間はならない
後は、八百萬の神々に祈るだけである。
つまり高度成長期の「効率化作業と拡大生産で販売路線を広げる」という人為的産業化路線が間違っていたのである。
(今も続いているが…)
だから他産業の経済成長路線とは、別の発想やスパンで取り組まないといけないのである。

それで、もう一つの人間の本質だが…
」である。
生理的欲から、精神的欲、社会的欲、さまざまな欲が絡んで人間がある。
欲がなかりせば…良いのだが
欲がなかったら人間ではないと思う(欲がないのは神様か?仏様だ!)
欲との戦いの経過人生なのか…
人間のあるべき姿を「少欲知足」とは、よく言ったりである。
しかし、それを常に言い続けていかないと、忘れるのも人間である。
「人間は忘れる動物である」

 

農業も、人間の生き方も、このように単純化してから考える
複雑化して考えると、 脳みそが硬直して筋肉化している小生には考えられない

人間が生きていくためには必要な食べものの農業と、生きていくための思考の元となる哲学も近くになくてはならない
それを近くに持ってきたのが、内山節である。
彼の言う言葉は、わかりやすい。
たぶん、もっと深いところでは、深遠な言葉で語るのだろうが…
頭脳が明晰な分だけ、わかり易い言葉で書き、しゃべる
今まで40歳迄のサラリーマン生活で、考えたことのないこと(学生時代に言葉だけは習った)を思い出して、
新しく気が付かされ、目覚めたことが多々有った。
そして内山節のことばは、今も続き、これからも学ぶのである。

 

そんなものである。
「遠くの親戚よりも近くの他人」とは、よく言ったものだ。
近くに農業も…哲学も…気軽に話ができるところがなければ…
そんな気軽な専立寺の哲学寺子屋が、18年の歴史を閉じた。

さて次は車座である。

日陰の福寿草が、木々の間から差し込む無料の日射量と、氷点下が続くなかのわずかな温度で花を咲かせた。

3336

「品番」と言うものが、ある。
つまり管理するために番号を、つける。
品物の番号である。
(「人番」と言うのものある。人を管理するためにつける番号である。
マイナンバーとも言う。余計なお世話だ。
大人数を管理する都合のある人が、必要なだけである。)

 

以前、繊維業界の商社にいたときに生産管理をしていた。
得意先から注文を受けたものを、メーカーに発注して、
生産したものを仕入して
メーカーにおいて配送するか…
倉庫に入れて配送するか…

そのデリバリーをするのに「品番」は大切である
たいてい綿紡績(東洋紡やユニチカ…日東紡など綿を主体とする紡績)や
合繊メーカー(旭化成や帝人などの合成繊維を生産しているメーカー)がつけるメーカーの品番が普通だった。
その中で独自のオリジナル商品は、担当する商社が着けていた。
大体が機械の機種で着けていたようである。
三七インチ二六ゲージの編み機で編むニットは「3726」とか…
そうすると基本の素材は良いが、ちょっと機械の調子を変えたり、編む糸を変えたものは…
同じ3726では混同する。そうすると、ちょっとだけ番号を変える。
だから3726というと大体生地の雰囲気(幅、組織、等)が頭に浮かぶ

その他に「色番」がある。
担当していた商品は先染めニットであるから、糸染めである。
カラー番号があった。今でも覚えている。
「13番は白」「113番は赤」「2番はロイヤルブルー」「27番は黄色」と…
そのなかでも黒は「16番」なのだが、通常は”黒は、24色有る”という。
そういえばスミクロや、漆黒や薄墨とか…
そういえばテレフォンブラックというのも有ったが、ちょっと鈍い黒である。
今電話自体が固定電話の黒は無い。だからテレフォンブラックというカラーは通じないのか…

そんな品番や色番を、色々と覚えないといけなかったが
頭の悪いやつは、いつも混同していた。

その中で、今でも覚えているのは「3336」である
なんとか思い出そうとするのだが”33インチの36ゲージ”なのだろうか…
そんな細いゲージに通るのは六双(60番手の双糸)の高級番手だが…
ついていた生地は、トレーナーの袖用の横網である。
横編機の機種番号だろうか
以前、中国や韓国で縫製すると身頃と袖や首周りの色違いのクレームが数多くついた
だから、クレームがないように丸編の身頃に合わせたカラーの横編みの袖を着けたのだが…
いつも少しづつ残った在庫が膨大になって。悩んだことを思い出す

今日は、3月6日である。
そうだ!思い出した。
アシスタントの女の子に、主力商品でないので「番号をつけてくれ」とお願いしたことが有った。
彼女は「3336」と着けてきたのだ

「なんだ?その番号は?」と聞くと
「私の誕生日です。昭和33年の3月6日」だという

そうかぁ〜!あの子も、もう還暦一歩手前だ!

 

一緒

醤油組合が醤油を作ったと言う。減塩の醤油だという。

岩手の醤油は、自前の蔵で作っている醤油屋は5社ある
その他のところは、日本酒で言う”桶買い”だという

その5社で作ったという。
しかし「いわて健民醤油」と言うのは…
なんだか美味しそうではない。
醤油が美味しいとは、なんだか不思議だが…
やはり、まずい醤油がある
それは甘い醤油だ

ところが甘い醤油を食べる地域がある
三陸沿岸だという
その甘い醤油で刺し身を食べるという
「そんな刺し身が食えるか?」
と福岡のヤクザは言うだろうが
九州も、ドロリとした甘い醤油で食べるという
先日も、近くのバスのたまり場からきた
高速バスの運転手が
「九州出身なので、甘い醤油が好みなのだが、置いてない?」と言う
「甘い醤油など醤油ではない」と言いそうになったが、それもまた文化だ
喉の奥に仕舞い込んで
「沿岸の醤油に似たようなやつが有るが、店には置いてない」というと
とりあえず盛岡の醤油を小瓶で買っていった。

 

それで健民醤油だ。減塩醤油だという。
塩が岩手県民の脳卒中の一番の原因だという
本当か?
たぶん理論武装はしっかりとしているのだろうが…
醤油屋の声は
「減塩の醤油は、醤油が悪いと言っているようなものだ。
本当は作りたくいないし、売りたくもない」と本音を言った。
行政主導のものづくりである。

買って食べてみた。
味は、そんなに変わりがない。
値段を確認しなかったが…
デザインはひどい

これは売れない。
と思いながら刺し身にかけた
減塩という言葉が脳裏に浮かんで…
たっぷりと掛けすぎた

減塩醤油は、減りが早いという
つまり一緒だ

 

追伸
昔いた会社で上司が
「塩分には気をつけているのだ」と言いながら
饂飩の汁を、お湯で薄めて食べるヒトがいた。
その汁は、最後には、すべて飲み干すのだが…

落書き

3月は弁当の注文が多い。
一番は、学校関係だ。
やはり送別会シーズンだからだろうか…

ワシなら「みんなで一杯やって!」と思うのだが
子供を持つ親としては、夜、抜け出すのは難しいのか…
そんなわけで、送別会や謝恩会用弁当の注文が、あちこちの学校から入ってくる。

サラリーマンの頃は、ほとんど学校は魔子様に任せていた。
魔子様も、他の人に任せて(?)ノータッチだった。

 

自営業を始めて
有る出来事で、中学校のPTAにかかわるようになったが…。
驚いた
ある母親に「今頃、出てくるなんて…」と面と向かって言われた。
なんと小学校から続くお友達グループが、中学校のPTAを仕切っていたのだった。
お飾りの父親のPTA役員、実質主導権を持った地元の小学校の母親グループ、事なかれ主義の学校幹部、そこへ単身乗り込んだ。
味方は、良識的なお母さんが2〜3人、それと移ってきたばかりの担任の教師と、クラスの子どもたちだけだった。
校内では難しいだろうというので外部に「子供の教育を考える会」を作って、会報誌を出したり、月に一度、他の学校の親との集まりを持ったり、退職した先生の本音の話を聞いたりと、店の仕事よりも熱中(?)した。
あまりにも騒ぎすぎ、PTA幹部に呼び出され囲まれ、吊し上げを喰ったこともある。
「こんど手を上げたら、叩き潰してやる」という脅しとともに…
そんなお飾りのPTAも、結局は親の見栄と、学校の体面と、文科省の本音のせめぎあいであった。
親は三年たてば卒業だから我慢、学校は静かにしていれば豊かな定年の学校幹部と、国を背負うという名のもとに軍隊養成を目指す文科省。
だれも、子供のことんなど考えていないのである。
卒業式にクラスの子供達から、手づくりの「感謝状」をもらったのが唯一の誇りだ。
もう20年前の事である。

最近、いい先生や、組合幹部と会うと、学校も変わったのか…
と嬉しく思う反面
反動が、森友学園を産んだのか?と考えることも…
我々が小学校5〜6年の頃、クラスの黒板に落書きをした
「安保反対」
教育勅語を暗唱するこの子らは、なんと落書きするのだろう?

クビだ!

先日、取材し放映された番組のCDをテレビ局が送ってきた。
最近、放映された番組の録画を送ってくるという対応が、あまりないので素直に嬉しい。

自分では見ない。と言うか見られない。
恥ずかしくて。見られたものではない。
だいたいがアップに耐えられる顔ではない
まして以前は、バリトンのいい声だったが、今のかすれ声では迫力がない
だから、記録のために保管しておくだけなのだが…。

 

自分が言ったことを、どのように放映されるのかチェックする人がいる
いや記者が書いた原稿でも”事前に送ってこいと”言う人もいる

大きく間違えて流されるのは問題だが…
そんなに違わない。だいたいが自分の話し方に問題が有ることが多い。
まして自分の発言が、そんなに影響を与えるモノとはおもわれない。

”安倍晋三の森友関係”とは違うのだ!

そんなので、ヒトが自分のことを書いた原稿や、ラジオ・テレビなどの流されたものを見たことはない。
「見たよ」
「あれまぁ恥ずかしい」程度で終わるのだ。
しかし、何故か?今回は見た。

相変わらずアップに耐えられない顔を晒している。
トランプだったら「カメラマン!首だ!」と怒鳴るところだ。
声もひどい、喋っている内容も、少しおかしい。
トランプだったら「音声!首だ!」と怒鳴るところだ。
まぁ全体としては、自分の思い描いているものとは違うが
そのように見られているのだろう(泣)

「見てるヒト!首だ!」と怒鳴りたいところだ(大泣)
こびる食堂の評価を高めたのか…落としたのか…

1 / 21512345...102030...最後 »