ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

大根の煮物

以前、雇っていた女の子が亡くなったと聞いた。
乳がんだという。

そう言えば…10年ぐらい前だろうか…
働いていたときに、なんとなくおかしい感じがした。
真面目に一生懸命働いて、店の戦力としては十分の力になっていた。
子どもを3人持ち、上の子が受験生の時代に当店で働いていた。
最初は「今まで短期でしか雇ってもらえなかったので…長く働きたいのですが…」と言っていた。
今までの人と比べて十分な働きをしてくれたので、それはこちらも歓迎していた。
ただ、それも限界が有った。
収入の上限が103万だったのだ。それ以上になると「扶養が外れる」と言う
それはそれで、こちらも仕方がないと思っていたが…
それでも一番長く働いてくれたのだが…

忙しくなって人が足りずに
その穴埋めに、新しい若い娘をやとった。
その若い娘も一生懸命に働いてくれた。
103万の制限がある子は、制限一杯働いてもらうことを約束して
若い娘を主力に据えた。

そうするとその子は、「他で働きたい」という。
103万の制限一杯働いて、他で働くとは?
そうすると「こちらを辞める」という。
「辞める」と口に出したら、なかなか引き止められない。
「仕方ないね」と言って、辞めていったが…

 

「旬の野菜を小鉢に…」と言っても、
いつも「大根の煮物を作りましょうか?」と口癖のように言う
お米を研ぐときは「必ずザルで…最初は手早く…」と言っても
いつも話をしながら、お釜に米と水を注ぎ、研いでいた。
一生懸命に真面目にやるのだが…
なんとなく、心ここにあらず。と言う働きぶりだった。
受験生がいて幼い子供がいて、旦那の面倒を見て大変なのだろう…と思っていたが…
どうやら乳がんの手術を受けて、再発に怯えて日々の暮らしをしていたようである。
子供の学費や先々のことを考えると、もっともっと働いて金を稼ぎたかったのだろう

季節感を出すために小鉢は旬を意識してと言い
「大根の旬は、今じゃないだろう」ときつく言うと
「今です」と強情に言い張った夏の日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

ピンポイント

弁当の配達は楽しい。
相手は腹をすかしているから
「待ってました」と歓迎される。

それでも歓迎されないときもある。
遅れたときである。
一度は、ひったくりのように弁当を持っていかれたことも有る
また一度は「だからこんなところに頼むのはいやよね…」と嫌味を言われたことがある。

それでも遅れることは、あまりない
なんとか10分前から15分前に着くように心がけているからである。
どこかの弁当屋のように「遅れたら金を戻せはすむ」と思ってはいないのだ。

そこは二階だった。
以前も来たことが有る。
二階は弁当の配達はつらい、
弁当が持ちづらいので、二回三回に分けて持たないといけない。
まして今回は、味噌汁付きである。
鍋も持たないと…

しかし、よく見てみたらエレベーターが有った
”ラッキー!”
台車に乗せてエレベーターに乗り、二階に上がった。
歌声が聞こえた

どうやら集会の最中だ。
しばらく待った。5時の約束だから15分前だった。
歌声がやんだ。
近くの人に声かけた。

「すいません弁当の配達なのですが…」
「えッ?5時の約束では…」
「15分前では、いけないのですか…」
「ちょっと待って下さい」と言って15分待たされた。

こんなところは5分遅れたらイヤミを言われそうな気がする。

こんなにピンポイントで配達時間を指定されては…

 

露と答えて

演劇を見に行った。
「劇」である。
劇と名のつくものを見たことは、最近はない。

映画も見ない。テレビドラマも見ない。
小説も最近は読まない。
それでも最近読んだのは「豆の上で眠る」という湊かなえの推理小説だ。
ラジオで書評を語っていた。たまたま寄った本屋に有ったので買った。
小生にとっては、推理小説は息抜きであるが、読後は、なんだか人間関係がこんがらかって、息抜きにならなかった。
というよりも、作者は一世代か二世代、年下なのだろう。
子供の頃の思い出を語るくだりは、小生の社会人か学生時代の頃の話だ。

齢を、とったものだ。

それで「演劇」だ。
演劇もここしばらく…
思い出しても10年は見ていないだろう
盛岡は”演劇の町と言っても良い”と、聞いたことがある
小さなホールが有って、さまざまな劇団がさまざまな芝居をしている。
以前も招待券をもらったので行った。
行けば行ったで面白いのだが…

金を払ってまで時間を潰してまでいこうとは、思わない。
しかし、招待券をもらってしまった。二枚も…
定年退職した友人に「ヒマか?」と誘って行った。

普通は予習していくのだが…
失敗した。
目先の仕事が忙しくて、なんとなく行ってしまった。

パンフレットには「怪談」と題が振って有り
「露と答えて…」「業平・双六」と有ったので
昔の怪談話か…
お寺の人間関係の話か(博打の話か(=昔お寺は博打場だったと言う)…と思って行ったのだった。

話の内容は在原業平という平安初期の有名な歌人である色男の天皇の后(藤原高子)との恋と、現代の若者の恋を、愛するものが亡くなったという執着する心の葛藤を描いたものだった。
乱暴に一言で言うと、生と死と愛が絡み合ったシリアスな心理劇というべきものであろうか…
それを鬼と仏が見守る。(たぶん人間の心に鬼の部分と仏の部分があるという意味なのだろう)

それは後から類推した。
話が始まったときから背景がわからずに鬼の言葉がポンポンと飛び出し
理解するのに時間がかかった。

 

そういえは古文が苦手であった。
高校の時、国語は「現代国語」と「漢文」と「古文」という三科目が有り、一番苦手だったのが古文だった。先生は爺さんだった。なんだか、いつもむにゃむにゃ言っていた。
もし古文が得意科目であったら、古文書に何が書いてあり、何を思って多くの人は生きていたのが興味を持っていただろうに…

歴史は得意だったが、平安時代は記憶にない。というか面白いのは戦国時代からの出来事で、せいぜい平安時代というのは長いこと続いた無事な世界と言う認識であった。
そして「強い権力者の物語」を「歴史」と思っていたのである。
それを変えてくれたのは「網野善彦」や「田中圭一」が語る江戸時代であり、「宮本常一」の明治の民俗学であり、「渡辺京二」の江戸から明治への来日した外国人の書簡集「逝きし世の面影」であった。
庶民が何を考えて生きてきたのか…それが地についた歴史ではないのか…
それを知っていたら歴史ももっと奥の深い理解が出来ていたのかもしれない

しょせん古文や日本史/世界史は受験のための暗記科目だった。

 

その弊害が、亡霊としてここに現れたのである。
思い出せば一つひとつ意味がある仕草やセリフだったのだろうが…

もう一度じっくり見たいものだ。

 

風流怪談「露と答えて」(yahoo 知恵袋より引用改竄)

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

主人公の『男(在原の業平)』が、長年好きだったある身分の高い女性(藤原高子)を連れ出したときのこと。
女を背負って、郊外の草地を歩いていると、地面の草は露で濡れてキラキラ光っています。
それを見て女は男に聞きました。
『あのキラキラしているものは何?』
男は急いでいたので、それには答えず必死で歩き続け、あるあばら屋に女を隠します。
あばら屋の前で一晩、追っ手が来ないかと見張っていたのですが、突然中から女の悲鳴が。
驚いて中を見ると、女はすでに鬼に喰われた後でした。このとき嘆きかなし男が詠んだ歌です。

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

『あれは何?真珠なのかしら?』とあなたが聞いたとき、せめて『これは露ですよ』と答えて、私もあなたと一緒に露となって消えてしまえばよかったのに。

実際は、途中で追っ手に捕まって連れ戻されたのを、このような美談にして語ったと注釈がつけられています。

こんな恋をしたいものだ(ブツブツブツ)

ヘンプ&ヘルプ

麻は、大麻である。
いや「麻」は、昔から日本で栽培されていた。
ところが「大麻」になると言うので麻の栽培が禁止されているのである。
麻は日本の文化である。麻の着物や洋服などがあるが…

たしか蚊帳も麻じゃなかったか?
「蚊帳(かや)」も死後になりつつあるが…

そうそう七味唐辛子にも「麻の実」が入っている。
別に食べても「幻覚」など見ないが…

数年前からヘンプキッチンの商品をおいてある。
「麻」を英語で「ヘンプ」というらしい
この商品は日本では栽培禁止なのでカナダで栽培して輸入している。

あまり売れない。
売れる前に賞味期限が切れるほうが多い。
強力販売推進商品なのだが…

この麻の実ナッツに「非加熱の麻の実ナッツ」の商品が加わった。
一生懸命に非加熱のメリットを調べようと思っているときに

若い母親であろうか…レジの前に立ち
「非加熱と加熱の違いは?」と問われた

一瞬、「こんなことを知らないで並べて売っているの」と咎められたような気がして「それは好き好きですから…」と言う言葉がスラスラと出てしまった。
相手は驚いたようにオウム返しに「すきずき?」

なんで、こんな言葉が出たのだろう
返事になっていない
だいたいが「すきずき」などという無茶苦茶な返事をするのがおかしい。

一瞬頭が白くなった。

そこへ小さな子供がスキャナをいじって、一度スキャナを通した商品を再び通してしまった。
若い母親は「駄目よ!おじさんに謝りなさい」と子どもの頭を押さえつけた。

「いやかまわないよ。子どもはなんにでも興味をもつのだから…」
「ほらやってごらん」と二〜三種類のバーコードを読ませると
子どもは嬉しそうに笑った。

子どもの読んだバーコードを消して精算を済ませると
母親は「他所でやっちゃダメよ。おじさんに謝りなさい」と再びいった。
「いや子どもは好奇心が旺盛だから、あんまり叱らないで…」

子どもの好奇心を伸ばしてやらないと、子どもは伸びない。
小生のように「好奇心を後回し」にして、言い訳のような返事にならない言葉を発しては駄目なのである。

チョ~反省!

 

 

 

だし

先日、若者が言う

「ほんものの出汁の味がわからないのですよ…。
幼いときは母親も忙しくて化学調味料ばかりで…
結婚しても家内は料理に興味がなくて…
昼食は、化学調味料だらけのファーストフードが主体で…」

 

和食は、出しが基本である。
さまざまな料理本で出汁のとり方が書いてあるが
当店も出汁が基本である。
できるだけ本物を味わってほしいと…
当店の味噌汁が美味しいのも、豆蔵という秘伝豆の青大豆の豆のせいも有るが、
それをいかす出汁があればこそである。

 

先日ある文章に出会った。

 

京料理の要となる昆布出汁(だし)について、大学の研究者らによる実験で「昆布のグルタミン酸を最大限に抽出するには60度を保って1時間加熱するのがいい」という結果が出たのだ。
仲間同士でふだんのやり方を比べると、火にかける時間は20分~80分までバラバラ。徐々に温度を上げて沸騰直前に取りだし、カツオ節を加えてふたたび沸騰したところで火を消す、というのが一般的な出汁のひき方だった。代々受け継がれて、そういうもの、と疑わなかった。

調理場で、できたての出汁を味見させてくれた。「間口は細くてすーっと、のどまで入っていくけれど、奥行きがあるでしょ。西洋のブイヨンやフォンは口に入れた瞬間、味がぶわっと横に広がる。和食の『吸い物』とはよくいったもんです」
「出汁」は、昆布のグルタミン酸とカツオ節のイノシン酸が一緒になることで、うま味の相乗効果がうまれる。

 

と書いてあった。
料理も、まだまだ奥が深い

しかし、科学的に解明されても、また人が違えば味も違うという
使用する昆布、水、鰹節。そして気温と火加減に寄る水温の上昇カーブと、さまざまな技の集大成なのだとつくづく感じる。

試してみた。
短時間で濃い出汁が取れた。濃厚で奥が深くて旨い。
魔子様は
「あんまり温度を上げると出汁が濁る」と言い
「水分が蒸発して、とれる出汁の量が少なくなる」と言う

材料や方法だけでなく、それに美的センスと原価まで関わってくるのか?

 

介護の日々

母の朝食を毎日作っている。
最初は1時間かかったが、最近は30分ぐらいでできるようになった。
以前から言っているが…
「売るのは難しい…作るのは楽しい」のである

店から余り物のご飯を冷凍しておく。
前の晩に冷凍庫から自然解凍しておき、蒸し器で蒸す。
前夜の湯豆腐の昆布出汁が効いた湯に、煮干しをいれておき、油揚げとわかめと豆腐を入れて味噌汁を作る
魚を焼いて、生野菜を切るか…炒めるか…蒸すか…そしてドレッシングだ。
それに目玉焼きである。
また、ちょっとした惣菜をつける。それは前夜の残り物であったり、店の惣菜であったり。
魚の代わりにウィンナーだったり、ハムやベーコンのときもあるし
卵はゆで卵だったり、だし巻きだったりする。
道具と材料さえあれば、慣れてくれば30分である。
なにをつくるか…どのようにつくるか…作業手順を考えるのも楽しい。

しかし、これからが大変である。
持っていった母は、大げさに感謝する

「いつもいつも、ありがとうございます。こんなにご馳走を…」

どうやら自分の弟と間違えているようである。
「息子が、こんなに齢を取っているはずがない!」と

そんな具合だから、介護は大変である。
テープレコーダー(これは死語か?)のように何回も何回も繰り返す。
そして、こちらも同じ返事を何回も、何回もする。

そのうちに苛ついてくる。
ついぞんざいな口調になる

これは身内だから、また厳しい口調に生る
介護の仕事をしている人は、「きにならない」と言う
そうだろうか…

そんな生産性のない、感謝の気持ちがない、言葉をいくらかけられても…
介護施設での事件が、後を絶たないのもよくわかる

こんな老後をおくるのなら、いっそ脳卒中かなんかで…
と思っても中途半端で半身不随となっても…

とりあえず元気に働ける間は、元気に働こうと思う
介護の日々である

替らないと換えれない

世の中、選挙である。
どうやら選挙一色と言う表現があたっているのだろう

選挙となると店の売上も落ちる。
それを言い訳にしても、上司に報告をする立場ならそれでも良いが
銀行に報告するには、言い訳にならない。

ずっと選挙で投票してきた。
選挙に直接関わったのは学生のときのアルバイトだった。
戸別訪問だった。玄関の戸を開けてチラシを渡すだけだったが…
ある家で「こんなことをしていいの?」と言われて答えられなかった。

それ以来、選挙に直接関わったことはない。
関わらないようにしてきた。
ただ新聞を読み、テレビのニュースを聞き、最近ではネットの情報を聞いて自分で判断し投票してきた。
そして、そのとおりに選挙結果がなったことが少ない。
どうやら世間大勢の人の思いと、自分の思いが違うのだろうと思う。

組織にいる人、利害関係がある人、そんな関係性で判断する人が多いのか…
それ以上にマスコミのイメージ戦略で動く人が多いのか…
現状に慣れて変化を求めない人が多いのか…

とある人が言う
「今回は誰にも頼まれないから…誰に入れたらいい?」と言う
そんな人も一票なのである。

 

地方の中小企業は
毎日の作業は、変わらない効率化を求めるが
毎日の仕事は、換わる決断の日々である

変わることに慣れないと換えられない

 

入院

緊急入院である
どうしようも、なくなった
身体が言うことを効かなくなった
思うとおりに動かない
筋肉が硬化しているのか
骨がずれているのか…
そういえば最近外からウイルスのようなものが飛び込んでくる
それだけでない
動かないのだ…

肝心のものが…

いや何、パソコンの話だ

ブログソフトが動かない。
それだけではない。
ウィルスのような変なメールが飛び込んでくる
レンボーカーソルがいつも回っている「遅い!」

 

そういうわけで救急センターと言うDr.りょう君へ、一泊で入院した。
夕方持参して、朝届けるという早業である
「飛脚」よりも早い、「クロネコ宅急便」よりも確かだ。

しかし、思えば30年前だ。キーボードに触ったのは…
それからのパソコンの進歩は、目に見えないぐらい早い
そして小生の頭は、手におえないぐらい遅い。
このミスマッチが覚える気を無くすのである。
いまだに独学で ブラインドタッチはあちこちを間違って打ち続ける。

だからバージョンアップと言うのは、もう恐怖である。
今まで慣れ親しんできた作業が、初めてのキャバクラに行くように右往左往してしまうのである。
(尚、昔キャバレーハワイは行ったことが有るが、キャバクラと言うのは行ったことがない
本当だ!。「嘘」と「専立寺の副住職の頭」は、ユッたことがない!)

だから、できるだけ昔のままでいいのだ!昔のままで…
そんなに昔でなくてもいい。「三四郎」とか…「ロータス123」とか…そんな昔でなくても
そういえば「一太郎」というソフトも有った…
野菜畑には「豆太郎」と言う「秘伝豆大豆」も有る(関係ないが…)

Dr.りょうは、「治った。使ってみてください」と言う
デスクを替えたといって。メモが書いてあった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
High Sierraのタイミングで…
SSDにかえた
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

意味がわからん
とりあえず「A」ボタンを押すと、素早く「あ」に変換する
デジカメからカードを取り出して挿入すると、画面にすぐ出てくる

以前は…
その間にコーヒーを淹れたり、トイレに行ったり、認知症の母の食事も作れたたが…
もうそんな隙「ひま」がない
そんなに急いでどこへ行く日本!

 

とりあえずパソコンライフはまだまだ続く。
のんびりと草を喰む短角牛のように生きたいと思う今日このごろ

 

 

 

 

 

 

でん六豆

店に戻ると、机の上に大きな箱のでん六豆が置いてあった
「山形の田中さんがきて、おみやげ!
コーヒーを飲んでいった。」と魔子様が言う

懐かしい、でん六豆だ。

デン デン でん六豆〜うまい豆〜

小さな頃よく流れていたコマーシャルだった
あ〜そうか…あれは山形のお菓子だったのか?

ふと魔子様に聞いてみた

「小さな頃、デンロクマメ!よく食べたよね〜」
「知らない」とにべもなく…

ひょっとして東北だけの地域限定商品だったのか…

 

山形の田中さんは、東北農家の2月セミナーの仲間である。
いや仲間だった。
田中さんはとっくに…小生は昨年、卒業した。
もう2月セミナーは何年続いているのだろう…
最初に出かけたのは平成6年の11月か…12月の八戸だった。
当時「二月セミナー」と言う名前ではなく、
農山漁村文化協会(略して農文協)主催の「中期講習」という名前だったような気がする。
それが予算不足で農文協が主催を降り、参加していた人たちが
「会費を出し合って自主的に続けよう」「毎年2月に…」
「講師の内山さんには、謝礼は少ないが…集まった会費で…」と言うと
「私も学ぶことが多いので参加費を出します」と哲学者の内山節さんは言う
招いた講師も参加費を出すという珍しい勉強会が、毎年2月に二泊三日で仙台で行われている

当初、農文協が主催だったので農家がほとんどだったが…
その中で農家になろうという田中さんや…農家の意識に近づこうという小生や…
農家以外の人も数少ないが入っていた
田中さんとは、長い付き合いである

そんな彼が昨年の岩泉の災害でボランティアにきたときに
「ちいさな野菜畑」という看板を見て「もしや…」と入ってきたのが数ヶ月前である
彼は、山形の有る町の社会福祉協議会に所属していた。
そんな劇的な再会をして、今回は留守をしている間に通り過ぎてしまった。

色々な出会いがあるものである。
また会えるだろう。

 

そういえば2月セミナーの仲間だろうか…
中期講習の仲間だろうか…
俵型のモナカである
通常、仙台のお土産だったら三色の白松がモナカだが…
たぶん宮城の南の方から持ってきたからだろう

 

 

有名な人

サイコパスと言う本を読んだ。
アメリカのトランプ大統領は、サイコパスだと本の帯に書いてあった。
トランプがサイコパスなら、ビジネスマンはすべてサイコパスではないか?
そんな思いをもって、本を買った。

昔、と言ってもそんな大昔ではない
「羊たちの沈黙」という映画をテレビで見た。
その時の博士(?)というべき主人公がサイコパスだと言う。
相反する性格が一人の人間に現れる…
その程度の知識なのだが…

 

読み進めながら、ふと今まで人生の中で、
「あの人はサイコパスだ!」と断定できることに気がついた。
30代に出会った人で、40代までつきあったが…
50代60代は、小生の思考に大きな比重を占めていた。

最初に会ったのは面接だった。
30代前半、東京から盛岡に帰ってきて面接を受けた。地方では大きな会社の廃棄物処理業の子会社だった。
彼は現場の長という立場だったが…
その仕事の内容や進め方、将来の方向性など、彼しかわからなかった
しかし、彼の上司は、彼の言うことを受けれなくて悶々としていた
そこへ飛んで火に入る夏の虫のように小生が入社したのである。
彼は辞めようとしてところに、若く生きのいいが部下に入ってきたので息を吹き返した。
かれは壮大な夢を語りだした。

当時、岩手には大きな家電メーカーの工場が進出していたが、廃棄物の処理の問題が起きていた。
大手の廃棄物を、きちんと処理をする廃棄物処理業者が岩手には無かったのである。
それを”処理しますよ”と声をかけて営業し、運搬し、中間処理をし、最終処分をする仕事だった。
彼は、熱分解溶融炉を導入し、溶融したものから金属を取り出すことを考えていた。
要するに処分費用をもらって、貴金属を回収し販売することで二重の利益をするというはずだった。
ところが処分費用は大手は納得すれば出すが、中小は出せるところが少なく、処分費用はランニングコストもでず
回収するにも、貴金属の含有率が低く到底採算に合わなかった。
(回収して採算に合うようなものだったら排出事業所がとっくにやっている)
結局その仕事は頓挫し、遅々として処理業者としての経営も上手くいかず、小生は友人の依頼で再び上京し転職した。

彼は、その後も東京にいる小生にコンタクトしてきた。
そして4年後、勤めていた会社で内紛が起き、嫌気が差したところへ彼はやってきた。
「是非、岩手に帰ってこい。面白い仕事がある」と…
彼が考えていたのは、有機農業と廃棄物を組み合わせた仕事だった。
彼は一見、学者みたいな雰囲気を備えている
落ち着いた語り口、眼鏡の奥から鋭い細い目でにらみつけるさまは、黙っていれば学者然としている
その彼の語りだす言葉は情熱にくるまれて熱い。

工場から廃プラスチックを処理費用をもらって高温で焼却しその熱を利用して椎茸ハウスを運営する
その椎茸ハウスのホダ木を堆肥に製造し、農家に販売し、自家でも野菜や米を生産し、消費者に販売する
そして処理できないような廃棄物は、溶出しないように固めて地中に埋め、
その安定した地盤に水耕栽培をし当時流行っていた水耕栽培のハイポニカ農法でトマト栽培をする
その野菜くずは、すべて養鶏のエサにし、米の籾殻や稲わらは、敷きワラに…そしてその敷料は堆肥に…
堆肥には食品工場からでてくる食品残渣や、解体した中小家畜をも混ぜ込む。
ありとあらゆるものが循環し、当時の有機農業の最高技術を集めた仕組みだった。

ころっと騙された。
いや騙す気はなかったのだろう
彼は夢を語ったのだ。
それに乗ってしまった。

農業生産法人をつくり、合鴨農法を岩手で最初に実践し、有機農業を滋賀県にいって勉強し、椎茸施設園芸を学びに島根まで行き、熊本には油槽タンクの洗浄を習いに…、焼却炉の導入で香川に…、全国各地に勉強と実習で駆けずり回ったのが40代前半だった。

ふと気がつくと、施設や仕事は、どんどん進んでいるが…
資金が続いていかなかった。
それ以上に、一つ一つの採算が合っていなかった…
結局、農業の常として単価を高くしても、自然のものだから生産量が安定しない。
生産量が増えても、客は急に増えない。
それ以上に投資金額が多くて原価がかかって、それが値段に反映できない
そして一番の問題は「いいものは、売れる」という彼の意識だった。
販売力が決定的に欠けていた。

資金を担当していた彼に経営内容を聞くと…
彼は嫌な顔をした。
それ以来徐々に離れていった。
決定的だったのは「直売所をやりたい」「毒喰らわば皿まで…経営内容を教えてくれ」といった事だった。
彼は、湯気を立てて怒った。
何故怒ったのか?わからなかった。

 

辞めたあと、彼を被告として訴訟をおこした。
裁判所の受付に行くと訴状を見るなり
「あ〜彼ね!彼は取れませんよ」と受付の事務の人が言った。
裁判所では名前だけでわかる有名な人だったのだ。

 

しかし、誰だって相反する二面性はある。
その葛藤に悩むの人間なのだが…
だんだん自分も、サイコパスのような気がしてきた。

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