ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

観念よりも感じを!

このごろ時々来る客がいる。三回目だろうか…
なぜか目につく
来たら、1時間は店内を回り、商品を立ち止まって見る
リュックを担ぎチェックの柄のシャツ
小柄でメガネで真面目そうである。

想像するに、どこか大手企業の経理係長?
または中小企業の総務課長補佐で、定年退職した…という感じだ

最初は、ずいぶん長くいる人だな?と思いながら見ていた
店にとっては、いい人だ
こちらの狙いは、店に長く滞在してもらい、新しい発見を見つけてほしいのだ。
ひとつひとつの商品に、いわれがあるし、こだわりがある
それを、じっくり感じてほしいのだ
そんな想いを感じた人は「面白い店ですね」と言う

買い物をするのに目的を持って来る人
「豆腐がほしい」と思もって買いに来る人は、
隣に、どんなこだわりの納豆があっても、気が付かない。

そんなもんだ人間なんて

そんな彼は、客がいなくなった頃を見計らって、レジの小生のところに来る。
そして二言三言交わして帰る

今日は「初めて、おたくで玄米を食べました。
驚きました。美味しいですね…」

どうやらこびる食堂で定食を食べたようだ
定食を食べると「白米にしますか?玄米にしますか?」と聞くようにいしている。

常連はわかっているから、聞かない
初めてでも、当店に来る客は「玄米を!」という客が多い
そういう意味で「食」に関心を持っている人が多いのだろう

以前あるトンカツチェーン店で、ご飯の玄米選んだことが有る
これは失敗だった
ゴワゴワのぼろぼろなのである。
まぁそれが玄米のイメージなのだろう

当店の玄米ご飯は、しっとりねっとりしている。
それが初めて食べた人には驚きを感じるのである

しかし、玄米が好きだという人は、
「やはり玄米はサッパリしてないとね」と言う人もいる。
それはそれで個人の好き嫌いだから否定はしない。

ただ玄米のイメージを変えたいのである。
工夫して炊けば、このように炊けると…

毎日食べるものだから長続きしないと意味がない
観念で食べるのではなく、感じで食べないと続かないのではないか?と思うのである。

 

 

いいわけ

4月5月と一本しかブログを書いていない。
理由があるのだが…
いつも多分4月5月は少ない。

春の準備といえば格好がいいのだが…
春の準備も一昨年から「花壇苗・野菜苗」の販売をやめた。
これは段取りと、テマヒマがかかりすぎる

以前は欠けたテマヒマ分の売上が上がったが、だんだん売上げ下がってきた。
競争相手が増えてきたのである。
苗の販売は、「土を売る」ようなものである
だから苗生産農家は、安い土を買って肥料を混ぜ合わせるか
大量に培土を自家生産する仕組みをつくる

以前は土が輸入禁止なので、海外からグラスウールに植えた苗を買うか
石に植えた苗を買うかした
「種代や、苗生産のテマヒマ(種から苗になるまでの水やりやスペース)の節約」なのである。
苗専門の大規模農家は、だいたいがそうである
中規模の自家製産苗農家や小規模農家は、培土や苗も自家製産であるが、
北国ではまだ寒い雪の降る2月頃から暖房をして栽培が始まる。
そしてムンムンと蒸し暑いハウスの中で水やりをし、植替えをすすめるのである。
だから苗を値切るというようなことはなかなか出来にくい

ところが大きなメーカーは、南国で栽培し、北国へ持ってくるのである。
暖房などの設備はいらないし、ハウスも簡単なもので早く大量に栽培できる

よく雪形と言われる山の風景が有る
岩手で言えば岩手山に鷲の形が現れたら農作業を本格的に始めるときだ。と言う言い伝えが有る。
そのように自然の状況に合わせて農作業をするのだが
経済は自然と乖離してスタートする
つまり、早く店に出して、買う気をそそのそかし、購入させるのである。
つまり、霜あたって苗がだめになったら、これ幸いと植え替え用の苗をすすめるのである。

それは「もったいない精神」とか「自然に合わせたくらし」とか、
日本人の精神とは、かけ離れたところでビジネスが行われるのである。

儲かれば良いのか?

苗を引き取ったときから、毎日の水やり、終わった花を摘む、病葉を摘む、
そんな手間ひまをかけて老化苗になると売れない。ロスが多いのである。

売上が上がるが、ロスが多い。
毎日のテマヒマが多い。つまり売上の割合に経費がかかりすぎるのである。
それを解消するには量販することが必要なのだが…
競争相手が多くなると、量産することは大量のロスに繋がる

結果として積極的にやらないということがロスの解消になるのか…
農業はビジネスになりにくいのである。

今年は、せっかくの苗の販売を積極的にやらないで時間が出来たと思ったら、
金融機関の契約の更改や、新事業の企画や、友人の死などが重なって、多忙の4月5月になってしまった。

もう一度練り直さないと「地方の小規模小売業の再生」を目指す当方としては、春のスタートがきれない。

 

 

 

 

ある日の朝

友人が亡くなった。
連絡をもらったのが、夜だった。
いつもメールでやり取りをしている息子から電話が来たので、
胸騒ぎがした。

「なにかあったのか?」と最初に聞いた
「親父が、今朝亡くなりました」と言う

絶句した。
とりあえず翌朝駆けつけたら、白装束で横たわっていた。

納棺・通夜・火葬・葬儀と決められた日程のように過ぎていく
信じられない一週間であった。

弔辞を読まねば…と思いながら
あらたまった言葉は浮かばない

それで「別れの挨拶」と言う言葉で語ることにした。
遺影を見上げ、語りかけた。

頭のなかで、今までの思い出を語ったが
後で言い間違えたり、足りない部分があったりと反省した

それで加筆訂正をしてここに文章として記録しておきたい
話し言葉と文章と若干ニュアンスが違いますが…

 

別れの挨拶

直志 ありがとう
本当にありがとう

12年前、胸部大動脈瑠で手術をした時、後遺症として声帯麻痺が残った

「ウソハッタリで商売をし、口先で騙すわしは、人前で話すことが出来ない」と言うと、
お前からヘッドギアのちいさなマイクが付いたスピーカーをもらった。
「小さな声で話しても届くよ!」という声とともに
まだ十分に声が出ないが、大分回復した。
それでも夢中になって力がこもった話し方をすると過呼吸になって喋られなくなる。
今日はお前とは最後だから、ゆっくりと話そう

そういえば食道がんを手術したときにも、贅肉はいいが脂肪から筋肉まで落ちて、
100kgから70kgまで一挙に30kgもやせた
「痩せ過ぎて、寒い!寒い!」と言っていたら
「オリンピックの取材にと、もらったものだ」と言って、キルティング上下の真新しい肌着をもらった
暖かかった。擦り切れるほど着た。

テレビ岩手アカデミーのときには、自社で作ったメモリアルブックをもらった
大病ばかりするわしに「残された人のために準備をしておけよ」と思ったのだろうか…
それが逆になるとは
マメなお前が、そのノートも書き残さずに逝くなんて…
残された美穂ちゃん、亮君は、今回の件で大分難儀をしたようだ

多くのものをもらったが。一番大きなものはモノではなく、いたわりと、はげましだったような気がする

お前とは小学校・中学校・高校と一緒だったが
小学校・中学校は、いつも隣の隣のクラスだったから、よく知らない
顔と名前が一致した程度の認識だった。
お前は「児童会長をやっていた」というが…
母親が見つけた小学校の卒業文集に、将来の職業に
「6年2組鈴木直志 アナウンサー」と書かれていた
昭和36〜7年当時、まだテレビは各家庭に普及していなころだ
「よく、こんな仕事思いついたね〜」というと、
「ラジオにかじりついて、よく聞いていたからな〜」と言って、はにかむように笑った
小学校からの夢を成し遂げるなんて、すごいやつなんだ
僕ら団塊の世代の最後尾までは“ラジオ世代”だった。

高校は一緒だった、グランドだった
お前はトラックでハードル、わしはフィールドでラグビーと同じグランドで三年間過ごした
春はグランドを囲んだ満開の桜が真っ白に覆い、桜吹雪の中で練習をした
高校三年のときに、今日東京から参列している中野正行の家に行った大きな藁葺の家だ。お母さんは囲炉裏端で箱膳で歓待してくれた。
徳利がついていた。
わしの人生で初めて人と一緒に酒をのんだ最初の友人だった
一人では、親父の呑み残しを台所の片隅で呑んでいたが…

高校を卒業して大学は北と南にとわかれ、矢継ぎ早に三通の葉書をもらった
“近況報告”と“安否確認”と…マメな男だった
一生懸命に書いたが、出さなかった。いや出せなかった。
便箋を書き直し、書き直しで、真っ黒になってしまうのだ
今となってワープロの便利性を痛切に感じる最初の時だった。
お前に会うたびに頭が上がらない。最初の忸怩たる思いだ。

そんなことで高校卒業後は疎遠になったが、8年後の夏、劇的な再会をした
転勤で大阪にいたときに、“明日は岩手に帰ろう”とテレビを見ていたときだ。
テレビにお前がでてきた
ナレーターは「本日の甲子園は、テレビ岩手の鈴木アナウンサーに伝えてもらいます」
と言って、顔が大きくアップされた
驚いた、心底びっくりした、アナウンサーになったとは小耳に聞いていたが…
遠く離れた大阪の地で、テレビ越しに再会するとは
あぐらに子供乗せて、麦酒を飲んでいたが子供を放り出し麦酒を吹き出し、あわてて新婚の妻を呼び
「これ同級生!同級生!」と叫んでテレビを指差した
しかし驚きは、それでは、すまなかった。
翌日、伊丹空港に行くと、お前が大きな荷物と一緒に立っていた
驚いて駆け寄って「テレビ見た!テレビ見た!」と言って駆け寄ったが
お前は、あまり驚いたふうもなく、呆然とたっていた。
話を聞くと「同僚がヘリコプターの落下で亡くなり、急遽呼び戻されるところだ」と言う
深い悲しみと、ともにあった。
懐かしさと再会の喜びと、深い悲しみと混じり合った複雑な気持ちで別々の席に分かれて座った。

しかし、驚きはそれですまなかった
花巻空港で別れ間際に住んでいる場所を聞くと
なんと今から帰ろうとする盛岡の実家から歩いて10分ぐらいのところに住んでいると言う
数日後、大阪に帰る前に、自宅の借家に行き、奥さん美知さんの手料理で再会の酒を酌み交わした
そのときにそばで泣いていた赤ん坊が、喪主の亮君であった
そして驚くべき第4段は、美知さんの実家がわしの実家と同じ町内会だということであった。

深い因縁を感じた
それから年賀状のやり取りが再開し、小生がUターンで岩手に帰ってから時々あったが、
お互いに仕事が忙しく、なかなか合うことはできなかった。
おまえが役付きになって、テレビにあまりでなくなって、一線を退いたころだろうか…
小生が店を開いた。
そこへ高校の大先輩であるIBC岩手放送の佐々木篁さんがよく来ていた
当時北上の八重樫真純が「おまえの店に佐々木さんがよく行くと言っていた」と言われた
「ささきさん?」知らなかったが、あとからよく見たら“西郷隆盛“のような風貌の人であった。
佐々木さんは、IBC岩手放送で岩手大百科事典を中心になってつくり、岩手日報の”交差点“と言うコラムも週に一回担当して元常務だった人である
その博学多才ぶりは、岩手の智慧と呼ばれ、岩手の歴史や文化や人々を熟知していた。
新しいことをやり始めた小生をかわいがってくれ、よく一緒に飲んだ。
「花見だ。」「かつおの季節だ。」「鍋でいっぱいだ。」と言って
そして佐々木さんは、いつも「直志を呼べ」と言って三人で飲んだ
話は、いつも政治を嘆き、経済優先社会を、科学技術偏重主義を批判し、口角泡を飛ばし、呑みかつかつ喰らった
ただ批判のための批判ではなく、
そこで岩手が目指すのはラダックの「懐かしき未来」だったし、内山節の「ローカルの世界」だった
そして最後は、自省の念を込めたきちんと報道しないマスコミ批判になるのがつねだった。

そんな佐々木さんも4年前の5月4日に亡くなった。
その辺からかぁ〜
「来年も桜を見られるか?」「みられるか?」と言いながら花見をした。
さきほど弔辞を読んだ千田和博くんから
「北上のさくらまつりの司会を頼まれた」と嬉しそうに言いながら「俺は、桜の男なのだ」と言う
「角館が本籍。北上でそだち、弘前で学んだ。東北三大祭りを語れるのは俺だ」とうれしそうに言っていた。
そんな直志は、わしが食道がんをやっているときに、ややこしい癌になった。そして後を追うように奥さんまで癌になり、あっという間に亡くなってしまった。
「この癌には完治はない。寛解というのだが、小康状態になるための治療だ」
「この癌は辛い、薬が効いても、どこにいつ再発するかわからない。臓器の癌で外科的療法をしたほうが楽だ」
と言いながら。
冬場の「一人暮らしは体調管理もしんどい」と、がん治療を兼ねて入院をしていた

今年の春は異常だった。
「春が遅い」と言いながら「桜が早い」のである。
退院よりもさきに桜が散ってしまうのでは…と心配をした春だった。面会禁止ながら、むりやり会った。20分ぐらいだったが
「10kg痩せた。」と言って胸をはだけ、痩せこけた肋骨と放射線の赤いマーカーを開いた
これでは4月の末に退院は無理かな?と思ったが…

昔のように葉書は出さなかったが、メールのやり取りは頻繁だった。
350通のメールのやり取りをしたが、最後のメールに彼は

お陰様で、昨日無事退院しました。岩大裏門のしだれ桜が見頃で、俺を待っていてくれたようです。
まだまだ散るわけに行かないな。体調のいい時に覗きます。ありがとう!

4月27日のメールが最後になってしまった。
一昨日のニュースプラスワンで柴柳キャスターは
「先輩鈴木直志は、テレビ岩手の顔でした。そして岩手の顔です」と号泣して訃報を伝えた。
まさに「みんなの心のなかに岩手の顔」として残るだろう

そして来年の春も、わしの心のなかに「散らないさくら」として心のなかで咲き続けるだろう

サヨナラは、いわない
「桜の樹の下で、いっぱいやろう!」
「またね」

平成30年5月11日

 

ふるいつきたくなる

フルイを変えた

「ふるいつきたくなるような、いい女」と言う表現がある
これは「思わず抱きつきたくなるような…」と言う意味らしい

そんな抱きつきたくなるような「フルイ」を変えた

違う!

意味が違うのだ。

稲は(ここで突然女から、稲に変わる)
田んぼに立っているときは稲だが…(その先についているのは稲穂と言う)
それを人間が食べる工程で、
稲穂から籾に変わり、コメに変わる
米というのは、八十八回のテマヒマをかけて作られるというが
多分、稲穂からコメに変わる工程も入っているのだろう

稲穂から籾を外して乾燥させ、籾摺りをして玄米にする
昔は稲刈りというと家族総出で親戚郎党を集め。お祭りのようにやったという
今は機械化されて、田んぼでコンバインと言う機械を動かしている父ちゃん
その刈り取った籾を運ぶために田んぼのそばで軽トラで待っている母ちゃん
と言う効率化という二人だけの作業で人手が要らなくなって、
農村から人が消えた

そんな問題も有るのだが
今回は「フルイ」
玄米にしたあと、フルイを掛けて選別する
この農家が選別のためにかけるフルイは、農協へ出荷するためのフルイである。
フルイの網目の大きさは、農協から指定される。
つまりある程度のコメ粒の大きさが指定されるのである。
そこから落ちたコメは(フルイから落ちたコメ)は、屑コメと言うことで処分される。
(裏の話 処分と言うなの再利用されている)
(これは内緒だ。安いコメが出回っているが、それの理由の一端がここにあると言っても過言ではない、あくまでもこれは内緒だ。)

また政府の作況指数と言う発表は、違和感を覚える
これもフルイのせいである。
農水省の作況指数は、1.7mmの網目のフルイを使用している
ところが各農協の指定フルイの網目は、農協間競争でだんだん大きくなって最近では1.9mmになっている。
つまり作況指数の農水省の発表と、実際に農協に出荷した収量との乖離を農家は激しく感じる
そして屑米である。
この再利用も。混米というワザで流通しているから、作況指数の実感は農家は乏しい。

ところがそれからである。
農協に出荷された玄米は、おおきなサイロのようなカントリーエレベーターで保管される。
様々農家のものが一緒である。だから同じにするために、再度乾燥して再度選別するために玄米でフルイにかけられて、農協から出荷される。
それを米屋が精米して白米にし、フルイにかけて選別して消費者に出荷される。

つまり農家で一回、農協で一回、米屋で一回、最低三回フルイにかけられるのである。
そのフルイの網目の大きさが問題なのである
つまり網目の調整で、大きな収入の違いが出てくるのである。

大きなフルイの網目を使用するのは馬鹿な話である。
しかし、それをやろうと思う。

左は従来から店の小米選別機で使用している2.0mmのフルイである
それを右側の2.2mmのフルイに変えた。

(これは粒ぞろいの大米粒である。

一度2.0mmを通したものでも、2.2mmの網目のフルイは、落ちる
どうしても落ちるのである。

しかし、日本で一番大粒の「いのちの壱」を食べたあと、やはり大粒のコメを食べたいと言う想いにはかなわない。

 

ひっつみ

最近、やたらとコンビニが目につく
なんだか松園とう言うか、盛岡全体が、コンビニ包囲網に囲まれたのでは…

先日も、何回も店が変わった角地の100円ショップが、いつの間にか三方から入れる大きな駐車場を持ったコンビニになった
どんな強力な100円ショップでも、格安の業務用スーパーでも難しい角地の店舗だったのに…
とても思いつかない大胆な展開だ。

 

コンビニは、ほとんど利用しない。
トイレを借りる時以外は…
むくみを取るので利尿剤を飲んでいるから、近いのである
トイレを借りた御礼に「珈琲」か「暖かいボトルの茶」を買う。
そんなもんだ
と思っていたら、有ることが有って、じっくりと商品を見ざるを得なくなった

当店は、地方の小売店と違って、違うもの…違うのを…と言う商品展開をしてきた
つまり違うものとは“売れないもの”である。
いや”数多く売れない”ということである。
ヒット商品と言うと、すぐ量販店からすべての小売店に並んでしまう
どこで買っても一緒なら、その時の便利さで買う
わざわざ当店に来る必要はない。

ようするに当店はマニアックな人たち(?)というか…
有る自然食とか…マクロビとか…アレルギーとか…
そんな人達利用できる店を目指している

だから、ここにしか無いという物を数多く揃えている
これが盛岡という地方の中小都市の小売業で成り立つのか?
(やってみないとわからない)と言って苦戦している

コンビニで扱っている商品は、当店の商品とは競合しないというのは基本だ。
そこで偵察である。だいたいが競合しないが…

ひとつ見つけた。

「ひっつみ」である。
ひっつみ」は、この付近では、ソールフードである。
東京生まれの魔子様は、客に「ひっつみってなんですか?」と聞かれると
「すいとんです」と返事をする
あの粉っぽい”すいとん”とも違うのだが…

小麦粉を練って、薄く手で伸ばして湯に放り込み湯がいて出汁の利いた野菜汁にひたして食べる。
そのねって湯がいた小麦粉は、スルスルと口の中に入って、ツルツルと喉に落ちていく
こびる食堂のメニューでひっつみセット(ひっつみ汁とご飯)500円は人気メニューである。

その地元の地産地消の…身土不二の…ソールフードのひっつみが、コンビニで売っているではないか?

 

これは厳重に抗議しないと…(怒り心頭!)

しかし、油断も隙もない
全国一律、同商品・同価格・同サービスのコンビニが、
こんなロハス(使い方間違っていない?)な商品を売っていいのか?

これが九州で売れるのか…
粉もん文化の関西ならともかく…
と思ったら裏を見たら「岩手工場」と書いてある。

なるほど現地のニーズに合わせた商品づくりまでやるのか…
恐るべしコンビニ!

しかし、コンビニだらけになって、
人口減少下の地方の中小都市では採算が著しく合わなくなってきたらどうするのだろう

撤退するのだろうか…

先日ラジオから流れてきたニュースで
イオンもファミマも事業本体は赤字だという
小売業のビジネスモデルは破綻しているのだ

農業と一緒で、家族経営でやっているから生き延びているのが実態なのだ
それをわかっているのだろうか…

 

 

旨い。美味い。

コメはザルで洗う
コレが基本である
そして一回目は素早く洗う
これも基本である

(基本=糠を素早く洗い流す)

コシヒカリの1.5倍の大きさ粒「いのちの壱」を炊いた。
とりあえず見ただけで「大きい」
なんというか…
ザルで、洗っても
何回か水を替えて、洗っても
手に当たる感覚が違う

大きいというか…
抵抗感が有るというか…
ハセがけだから、水分を随分少なめにして、羽釜で炊いた
この羽釜は、燕三条のメーカーから買ったアルミニウム合金の羽釜である。
通常、木でできた蓋なのだが、これは重いステンレス製である。
圧力釜の圧力の代わりである。

”初めチョロチョロ中パッパ、赤子無くとも蓋取るな“とおぼえていた

正式には「始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、
赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり。」
かまどじゃないので、最後のワラは難しい。最後の一瞬、ガスを最強にして消す!

そして出来た「カニ穴」だ。
ご飯にできるアナが、砂浜でカニがはいでてくる穴に似ているので「カニ穴」と言う
(可児さんというアナウンサーだと想っている人が多いが…大きなカニ違いだ)
美味しく炊けた証拠である。

穴が開くということは、粒が均一であるから下から、出てきた蒸気がまっすぐ抜けたということである
つまり、全体が均一に熱が通ったということに、ほかならない
均一に加熱するというのは、調理の基本であり、調理の最強のワザである。

そんな最強の…最高のご飯を何で食べるか…

当然「塩むすび」

だろう

食べた、食べた。

食べた若者は異口同音に「うまい、うまい、うまい」と三度叫び
「あまい、あまい、あまい、あまい」と四度叫んで、ひれふした。

柔らかいが、しっかりと腰があり、ほんのりと甘みと、しっかりとした歯ごたえの食感

これを旨いと言わないで、何を美味いというのか

その場にいたみんなに食べさせ、みんなが感想を述べた

今まで食べたことのないうまさだ
冷めても美味しい!

翌朝、食べ残したご飯をおにぎりにして、ラップをかけ、チンをして、隠れて食べた
とろけるような南高梅の梅干しと、ともに…

美味しい

やはり一日過ぎても美味しいのだ

その一言である
やはり大粒のコメは、粒揃いで美味しいのだ。

なにもない

ようやく、冬のオリンピックが終わった。
あまり冬のオリンピックは、好きではない。
ジャンプなんか、自分があのスタートの位置に立ったら板を抱えて逃げ出したい。
クロスカントリーだって、あの距離をスキーで歩く(走る?)などというのは馬鹿らしい
坂を下って直滑降で落ちていく、こそスキーだ!と思うのだ
スケートは、元々あの細い刃で氷の上を立つ何ていう芸当は、出来ない
くるくる回ったり飛び跳ねたり、あのフィギャーと言う踏み潰されて泣いたようなスポーツもあまり興味がない(魔子様は見るのに一生懸命だ)

大体が東北の生まれで、冬のスポーツができないと言うのは自慢にならない
これは周りが雪に覆われ、それをかき分けて学校に行くというのが当たり前で、
雪や氷は邪魔と言う他に、何もない
雪や氷で”遊ぶ“と言う感覚が無かった。当時は…

だから社会人になって、スキーブームが起きて魔子様まで深夜バスに乗ってスキーに行ったというが、会社で誘われて、しかたなくスキーに行ってウィスキーを食らって寝ていたぐらいである。
スキーの服も、板も靴も自前で買った覚えがないし、今でも持っていない。

そんな自分が、感動を覚えた言葉がある。カーリングだ。
(これも好きでない。野球と同様時間がかかりすぎる。飽きて見ていられない)

テレビのニュースで凱旋報告会が流れていた。
酒を飲みながら、聴くともなしに聞いていると

 「私は7歳の時からカーリングを始めました。正直この町何もないよね(笑)この町にいても絶対“夢はかなわない”って思ってました。だけど今は、ここ(常呂町)にいなかったら(夢は)かなわなかったなって思ってます。子どもたちもたくさんいろんな夢があると思うけど、場所とか関係なくて、大切な仲間がいたり家族がいたり、どうしてもかなえたい夢があるとか、この町でもかなえられると思います。これからもよろしくお願いします」

こんなことを喋っていた。驚いた。
人口減少社会の大きな原因とヒントが隠されていた。

何もない町、大きくなったら都会へ出て…
と言って育てられ
”長男だから、いずれ戻ってこないと…”と言う想いを持って

そうなのである
戦後から高度経済成長、バブルと
都会へのあこがれと「田舎はなにもない」と言う言葉で育てられたのである
だから限界集落が生れ、都市への一極集中となり、地方の衰退が始まったのである

岩手は現在、125万人の人口が、後一回り(次の戌年)には90万人を割るという。地方の市町村の自治体は、人口を減らさないように人集めの競争で躍起である。

しかし、
そろそろ「地方には何もない」という思考を捨てたほうが良いのではないか…

ありすぎるほど豊かな自然があり、
そこから生み出される豊富な食べものが有り、
それと作り出す豊かな人々がいるのだから…

内山節の本に
山形県金山町の農林家の栗田さんの話が出てくる。
小さな集落は冬、雪に閉ざされ学校に行けない子どもたちは、分校に通う
そこで栗田さんは、冬だけ分校の教師を勤めた。
彼は、小さな集落での豊かな暮らしを語り、
教えられた子どもたちは、誰一人村から出ていかなかった。と言う

 

資本主義の拡大経済社会は、地方を衰退させる仕組みなのである。
そこから脱却しないと地方の人口衰退は止まらない

 

龍の瞳

「龍の瞳」と言う米があるという
本当の品種名は「いのちの壱」という
岐阜県の下呂市で発見され、その地域の人たちが栽培をしているという
その一番の特徴は、粒が大きいと言う

こしひかりの1.5倍の大きさの粒だという
そして、香りといい、食味といい、日本で一番だが、
生産量が少ないので食味ランキングに入らないという
そんな米を、取り寄せてみた。

先日来、新聞やテレビで東京代官山にオープンした秋田のおにぎり屋が注目を浴びている
その謳い文句が「自家生産あきたこまちの大きな粒を選別した農家だけの特別米」ということらしい
それが「美味しい」と言う

米粒の大きなものは、「美味しい」とイコールなのか?
そんな疑問を持って調べていると「いのちの壱」が引っかかってきた。

よし食べてみよう
好奇心旺盛の入道であった。

 

よく農家の人に聞くと、みんな「おらの米はうめぇ〜」と言う
「慣れた味」と「美味い」とは違うのだが…
と思いながら無碍に否定するのも…
誇りを傷つけることになるし、彼は納得しないだろう
と言って自分の家に売るほどある米を、ほっといて、他の米を食べて比較しろとは言い難い
だから農家に「これ本当に美味しいの?」と聞くのは愚の骨頂である

”米が不味い”と言われる地区がある。
農家同士で、けなし合うのである
「あそこの米は、不味い」と…
農協の合併問題が有ったときに
「あの米が売れ残る農協と一緒になるのは困る」と言う人もいた
しかし、米の美味しさは、ひとそれぞれ違うのであるから、やはり自分で確かめないと…

 

就労支援で店に来ている若者に聞いた
「うちのご飯、美味しいか?」と…
じぶんが、どの程度のご飯を食べているのか?
それも販売の勉強なのだ。
コシヒカリの美味しさと…
ササニシキの美味しさと…
粒の大きな「いのちの壱」の美味しさをわかって、
自分がどの程度の米を食べているのか?
それを認識することが、販売する相手に米をすすめる尺度になるのである

 

高い金を出せば、良いコメを食べていることにはならない。
そこには米から美味しいご飯になる過程、
乾燥手段(強制乾燥・天日干し)低温精米、洗米。浸漬、炊飯器。等々
さまざまな技を経て、ご飯になるのである

さて龍の瞳を
「来週は試食会をしてみよう」

というと若者たちは一斉に歓声が上がった。

 

就労支援

ツララが滴り落ちる。
「春になる証拠だ」と若い友人は言う

なるほど…

単純に薪ストーブの暖かい熱が、天井のない屋根を温め、雪を溶かし
滴り落ちてきた水滴が、凍ったのがツララと捉えていた。
そういえば…今頃にしかツララは見られない

屋根の上で溶けた水は、12月1月と厳寒のさなか
屋根を滴り落ちてくる間に凍ってしまう。
つまり、ツララになる前に屋根で凍ってしまうのである。
春になり、溶けた水滴が凍らないまま屋根から落ちてこないとツララにはならない

そんな春の予兆が見られる中、就労支援中の若者と老人ホームに「ひきうり」と言う販売に出かけた。
本来ならリヤカーとか軽トラで売りまわるのだが、冬場は暖かい老人ホームでの販売に切り替えたのだ。

商品は、約10万円分もっていく。
売れないものとわかっていても、枯れ木も山の賑わいだ。
みせなければ、売れない。

そんな中、豆を「青大豆(秘伝豆)」「くろまめ」「大豆」と3種類持っていった。
1kgづつである。
自炊の老人ホームであるが、“一人ぐらしでは、1kgは多いかもしれない”と思いながら…

比較的若い人だろうか…(と言っても60代後半だろうか…)
黒豆を1kg買った。1280円である。
そのほかに、お菓子や野菜など色々と買って
「2000円しか部屋から持ってきてない」と言いながら
計算したら2000円を超えていた。
「どうしよう。なにか返そうか…」と言う
小生が
「くろまめ1kgすぐ調理します?半分にしますか?」というと
「あら助かるわ。640円になったら後色々と買えるから…」と言う
1kgの豆を“計って半分にしよう”と思ったらハカリを忘れた。
しかたがない
レジ袋に半分だろうと思う量を二つに入れて、選ばせた。
「どちらか多いと思う方を選んでください。」
「えっ!悪いわね。こちらが重そうだわ…」
と言って、嬉しそうにニコニコ笑って、片方を取った。

販売は等価交換である
商売とビジネスは違う。
ビジネスという貨幣経済は、貨幣の価値で等価をはかる
関係性の商売は、気持ちではかるのである。

そんな事を引き売りという実体験の中で
若者に教えて行く
大事な就労支援と言う社会勉強である。

 

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