ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

もちつき

「賞味期限があるんだ!」
ふと思い出した。
26日に餅の買い出しに来た、おばさんが言う・
「地元の餅を売っているところがない。
なんと言っても正月用の餅が並んでいない」という

そうなのである。ここ数年前から餅に賞味期限がつくようになった。
だから真空包装していない餅は、早くから並ばなくなった。
地元のつきたてのお飾りの鏡餅や、
年末年始は忙しいから早めに…と思っている人たちにとっては餅入手しづらい商品になった。
しかし、コメに賞味期限あるのか?
「できるだけ精米したてがいい」というが、それでも賞味期限はつかない

「餅に賞味期限」
確かに青カビから、赤カビから、カビという黴(かび)が生える。
そんなのは、削ってしまえ!というのは横暴だろうか。
そんな技、そんな判断が、昔はできた。
今、それは他人に委ねられている。
だから3日前にしか餅が並ばない。
松の内に食べ切れる量を買い求めるために…

「鏡開き」という言葉は正月の食文化の言葉なのだ。
鏡餅を「切る」ではなく「開く」という言い方は…
お飾りの重ねたヒビの入った餅を、開いて食べる。
そんな言葉も、ビニールで密閉されたカビの生えない、
ヒビの入らない鏡餅では…ありがたみも薄いような気がする。


そんなことを考えながら…でもないが、群馬県多野郡上野村に行った。

もち米の配達である。
「もち米の配達に群馬県に!」

不思議に思う人がいるだろう。
哲学者の内山節氏の別邸で毎年、12月29日餅つきが行われる。
いつの間にか増えて増えて、「今年は、330kg欲しい」という
群馬県上野村は、コメの採れない山村である。
少量の米なら山村のちいさなお店で買えるが…
大量のもち米は、近くでも販売していない。
それを毎年頼まれているのである。いつの間にか増えてしまった。

夜通し走って、険しい雑木や杉林の山林を抜けていくと数軒の集落があった。
その一軒の二階家である。その庭に、数日経つと全国から人が集まり、二日がかりで餅つきが始まるという

そのついた餅には、当然のことながら「賞味期限はない」
自分たちで判断できる人たちが選択するから…

ありがとう

店を閉めるにあたって、
多くの人から「おせわになりました」「ありがとう」と感謝の声や、
花束のプレゼント、珈琲、チョコレート等々多くのプレゼントを頂いた。
そして「最後に挨拶を…」と言う人達でいっぱいになった。

ふと思う。
単なる売り買いではなく「ちいさな野菜畑」は何を売っていたのだろう。
それは商品ではなく、想いがこもった売り方だったのかも…

 

哲学者内山節は、いう

「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」
(1998年「農村文化運動148」より)

「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係では、「よりよいものをより安く」というような商品としての合理性(経済合理)が必ずしも貫徹していない商品のこと

多忙 感謝感謝

なんと忙しいことか?
その〜間に合わないのである

なにもかも…

新聞に載ったことだ

盛岡タイムス

岩手日報

一つの小売店が消えていくのに、ニュースになるというのは良いことなのだろか?

その記事を読んでやってきたのが、多くの最後を惜しむお客様と、借金取りである(笑)

ひっそりとしまいにしたかったのだが…

さて今日一日頑張ろう。

明日は、ゆっくり寝られるだろうか?

 

おせわになりました

朝、厨房で準備をしていると、お客のおばさんが声をかけてきた
そういえば、そう見えるが漁家のおばさんスタイルだった
要するに花柄のようなレインコートの生地の上下の作業衣をきたおばさんである
おばさんには失礼だが、小生よりもちょっと年上かな?

そして唐突に「いろいろお世話になったので、これ牡蠣!」
と言って二本差し出した。
そして「山田町から、来たらいつも寄ります」という


「山田町?」「沿岸から?」「いつも?」
「お世話になったと言っても…」と問いかけると
おばさんは、うなずきながらスタスタと出ていった。

若い青年が、やってきた。
「やめると聞いたので…。おせわになりました」という
以前の取引先の営業マンだが…
お世話はあまりしていないが…
なにか感じるところが、あったのだろう
その青年に悪いことをした
一時支払いが滞ったときに、「集金においで?」とひと声かけてやれば解決したのだが
集金は別のボジションだったのだろう、しばらく営業にも来なくなって取引が途絶えた
それを思い出し大きい声で呼び止めた
「営業というのは回収してなんぼだ。できる限りちいさな金額のうちに回収すれば、大きいやけどはしない」
「あのとき集金に来てくれれば、取引は続いたのだが…」
彼は「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。

大量に白菜とキャベツを持ってきた生産者がいた
「閉店セールで30%引きをしているが、それでもこの量は売り切れない」というと
「わかりました。いくらでもいいから販売してください」と言って物をおいていった
というと別の生産者は
「おせわになりました。商品を引き取らせていただきます」と言って引き上げていった。
生産者に迷惑をかけないように、当店の手数料から値引きしているのだが、
この対応で生産者の当店との取り組みをどう考えているかがよくわかる。
こういうのが、本音が出るのだろう

 

岩手日報に出た

https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/11/28/29794

盛岡タイムスも取材に来た。

こんなちいさな取り組みなのだが、さまざまな関係性の世界が壊れていくのが今の時代のニュースになるのだろう

寿命

いつかこの日が来ると思っていたが…
永久に続けたいと思っていたが…
さまざまなことが引き金になった。

一番大きいのは、友人たちの死と魔子さまの病気だろう。
自分自身は、50を過ぎてから、ずーっと病気がちと言ってもいいほど、病院と寝た(?)

それまでは、怪我や歯痛はあっても、風邪で寝込むということはなかった。
風邪で寝込みたいと思ったことはあったが…
病気がちの一番の素因は、30代後半の「親知らず」だろう
”出張先で痛んだら大変だから”と言われて銀座の歯医者で親知らずを二本抜いた。
それまで歯は、完璧だった。
いやキチンと揃って隙間を埋めていた。親知らずを抜いてから
知らず知らずのうちに(?)隙間が空くようになったのだろう
そこへ十分な歯磨きをしなかったために、歯槽膿漏になった。
そこから「菌」が心臓の弁にくっついたのである。
感染性心内膜炎という。
従来持っていた僧帽弁閉鎖不全症と一緒にして一種一級の障害者になった。

最初の心臓手術のときは手術室の前でストンと麻酔に落ちた。
二回目の胸部大動脈瘤のときには、手術室に入ってストンと麻酔に落ちた。
三回目の食道がんのときは、自分でステンレスの手術台に乗って麻酔が落ちた(?)

三回も胸を開き、その他に化膿性脊椎炎。腸閉塞を二回、白内障。緑内障・歩く総合病院と言われ、ときの県立中央病院の院長に「おまえは友達だ」と尊称された(?)
病歴は長いが、死亡歴はまだない(?)

そんな病気がちの自分が命永らえて、友人たちがあっという間に去った。
一人は若うちから運動をし、スイミングスクールに通い、定年になって歩き回ってリンパの癌になった。
一人は、若いうちにスポーツ心臓になったが、肉を喰らい、タバコをやめずに心臓発作で亡くなった。
もうひとりは若うちから食に気をつけてみんなを指導し、奥さん盲腸で入院していうるときに一人で脳の血管が破裂して亡くなった。

ふと「寿命」という言葉を思い出した。
寿命なのである。
いいえて妙な寿命である。

運命論者ではないが、(いや運命を信じているが…)その時がきたということだろう
店も社会も、変わってきた。
変わることが良いことなのか?は別にして…

寿命なのである。

店を開いたときには、多くの農家が「直接得売るなんて…」二の足を踏んだ。
いまは最初から直接売ろうとして、そんな畑を作る若い人たちが就農している。

流通は細分化して、空を飛び、地をはって、ネットワークをめぐらした。
どんな流通が出来上がるのか?
じっと見守るほかはない。

役目は終わった。寿命である。

早く血がでろ!

7月14日

「ひさしぶりのブログだ」と書いて…
それ以来書いていない。
もう4ヶ月、盛岡は秋風どころか、岩手山が初冠雪し、里にも雪が舞いそうな季節になった。

なんとか書こうと努力したが…時間が足りない

というか心の余裕がない。そんな4ヶ月だった。

今日から朝定食をやめた。
すこし心の余裕ができた。

毎週火曜日は定休日だが、それ以外は毎朝6時半に出勤する。
(定休日は岩盤浴へ行ってから出勤だから、10時だ)
帰りは10月いっぱいまで7時終了だから早く帰ってきて7時半だ。
だいたいが12時間立ちっぱなしだ。
足も、むくむはずだ。

昨晩、夜中にガーゼを挟んだサポーターを取った。
なんとドロリと血が流れて止まらない。

ベッド脇のカーペットが血溜まりができた。
それでも止まらない。二階で寝ている魔子様をスマフォで呼ぶ。
なかなか電話に出ない魔子様に
「起きてこい」と

起きてきた魔子様は、いつものように驚き、いつものように手当して、いつものように二階に上がって寝た。

 

それからが大変だ。
眠れないのでトイレに行き、お茶を飲み、本を読み出し、パソコンを付けて…

ふと気がついた
鍼医が言っていたことを
「だいたいが春夏なんだよ。むくみは…
そして血が出ると治る。早く血がでろ、でてこい」

これで治るか…?
痛みは無くなってきた。

 

オープン

ひさしぶりのブログだ。

「オープン」と書くと、賭け事好きは「オープンリーチか?」と思う
スケベなやつは「十三か?」と思う(関西人しか知らない!)

そうではない

ようやくオープンまで、こぎつけた
おもえば三年前だろうか…
このままではいけない!このままでは…!という危機感が、
「街なかに、アンテナショップを!」と思っていたのだが
具体的には、動き出せなかった。
資金の問題、今の地方経済の落ち込み、場所等々の問題は山積みだった。
もう時間切れだと思っていたところに、スイスイと流れるように話が進んだ。

動いて見るものだ。語って見るものだ。
動いて語って、なんとか近くまで来たが、
それにもまして次から次へと難問奇問が…
4ヶ月かかっただろう
疲れ果てて酒量があがり、疲れ切って酒量がさがった。
ようやくオープンである。

酒も届いた。

あとは客だけだ。開店初日は、客よりも従業員の多い時間がず~っとあった。
体重は500gほど痩せた!

 

 

 

そのうちに…

いま新しいことをやり始めようとしている

あるビルの一角にアンテナショップだ。
10坪ばかりのカフェをやっていたところだ
家賃が高いので困っていたが、「安くする」と言うので決めた

ところが新しいことをやり始めようとすると、今までの仕事を誰が引き継ぐのか?
ただでさえ

「いっぱい!いっぱい!」なのに…

内装の問題、調度の問題、メニューの問題、広告宣伝の問題。資金の問題、そして人の問題。

問題が山積である。

やりたいことがいっぱいあるが、整理できない。
ひとつひとつ解決しないといけないのだが…

そういうわけでちょっと忙しい。

書きたいことは山程あるが、ブログにもなかなか手を出せない

そのうちに

 

 

それはこちらのセリフです

携帯を替えた
ガラケーからスマフォに
使い方が、ぜんぜん分らん

かろうじて「電話を取る」は出来た。
ところが「電話を切る」が出来ない
何回も”電話が横になっている”マークを押したが、そこは「かける」ボタンのようだ
何回も、さっき切った相手の「もしもし」が聞こえる
「スマフォを使いこなせないので…」と返事をするのも恥ずかしい
無言で切ってしまった。

常識はずれだ!(反省)

 

mailも打てない。
検索もできない

 

魔子様が「音声入力でやってみれば?」と言う
「ほら!出るでしょう!”ご用件はなんですか?”」と読み上げた

スマフォは言う
「それは、こちらのセリフです」

魔子様は笑い転げた。

初めて撮ったスマフォの一枚
どうしてもインスタント写真のように見えない。

これは「インスタばえ」と言えないのだろう!

脱産直宣言

背の高い婦人がレジで、なにやら聞いている
客と対応している魔子様が、小生に向かって
「無農薬の野菜を扱っているところはないの?」と聞いてきた
「何?」自分のところで扱っているのに…

と思ったが、どうやらお客は

”無農薬の野菜が選べるような直売所”を探しているようだ

出ていくと
「病気になって初めて食べ物の大切さを知って、どこで売っているのか?探しているのですが…」

こういうお客様が一番、説明の程度が難しい
まず「農業」と言う説明からしないといけないからである
そして「現代の流通」が、いかに問題があるか…
それには「人間の欲」の問題と…
そして彼女は
「ものを見ても…
人を見ても…
自分ではわからないので…」と最後に付け加えた

 

まず今の八百屋や量販店に並んでいる商品がどれだけ国産品の並んでいるか?
海外産は安全なのか?と言って地場産の比率は?
結局、今の時期(4月5月)は地場産(岩手産)のものはほとんどないのである
まして有機農産物など無いと言っても良い
自然栽培というか、自然にできた山菜の時期ではあるが…
それも「栽培」や「自然栽培という、ほったらかし」
それがすぎると「野生化栽培」と言う名に変わる
じょじょに岩手産がでてくるが、あっという間に終わる
岩手の農産物は、品種が満足の揃うのが4ヶ月(7月8月9月10月)しかないのである。

だから産直で食べていくというのは至難の業なのである。
当店も最初から市場流通の仲卸が入っている。
大きな農協系の産直は、ほとんど他の農協や漁協と提携している。
産直という名を借りた量販店なのであり、量販店の中に産直がある。
経営的にも、年間を通じて地場産有機野菜を揃えるというのは不可能なのだ

 

当店が有機農産物中心の街中産直を始めたのはもう25年も前になる
当時、有機農産物は肩身が狭かった
「無農薬です」とPOPに書くと
「わしのは毒薬を撒いて栽培しているのか?」と同じ出荷者から言われると聞いた
だから「無農薬」「有機栽培」とは書けなかったと…

そんな生産地のそばの産直から、消費者に近い産直を始めたのが、ちいさな野菜畑である
有機農産物を栽培している農家が地元の産直ではなく。消費地に近い場所に…
しかし、さまざまな問題があった。
農業は金を稼ごうとすると、ある程度の量が求められる
つまり一つの作物を作るのにも、種はワンロット(小袋)買わないといけない
種取りのばあい、選抜のためにある程度の量を必要とする
自家生産肥料といっても、作る量は最低ロット必要とする
(発酵肥料の場合、発酵させるためには熱量保存のために1トン程度の仕込みをしないといけない)
まして畑が空くと雑草が生えるから、生えない程度の作物を植えないといけない

等々の事情があって、ある程度の量を植えざるを得ない
それが果菜類のように、少しづつ取れる野菜であればいいが。
白菜・キャベツ・大根のように土地利用型は、一挙に収穫が始まる。
収穫が始まると一挙に腐敗が始まる。(野菜は収穫と同時に腐敗が始まるのである)
だから一挙に売らないといけない

だから食べる野菜をすべて産直で有機農産物を揃えるというのは至難の業なのである
まして、それを選べるようにするのは…

だから平成7年に街中産直をオープンして11年後「脱産直宣言」をした

脱 産直宣言!(2006年(平成18年)7月)

 

 平成7年(1995年)7月8日、農家直売所ちいさな野菜畑は、地域を越えた17人の生産者によって、盛岡市の一角で産声を上げた。

企画段階で岩手県の担当者に補助金の相談をしたところ、

「地域を越えた生産者が集まるところは、対象とならない。市町村の単位で有るならば、いくらでも出すが…。」と言われ

「だいたい街中に直売所など建てて、経営的に成り立つはずがない。近くに生協や八百屋。スーパーがある。消費者は、畑や田んぼを見ながら買うのが、好きなんだ」と、いらぬ指導まで受けた。

そのおかげで、一切補助金や、行政からの支援を受けない方向できた。

しかし、その担当者の言うとおり経営的には悪戦苦闘の11年間であった。

 よく「直売所に市場モノが並んでいるのはおかしい」という人がいる。

また「直売所は、地元の物しか売らないという哲学をもて!」という人もいる。

当店は、最初から仲卸を一社仲間に加えた。

岩手の旬は短い。野菜の品揃えが出来るのは、だいたい7月から〜10月ぐらいまでの4ヶ月である。しかし、米・卵・牛乳は、一年を通して生産され販売できる。そして冬には、農家の智慧や技を表現できる漬け物がある。そこで、一年を通じ店に足を運んでもらい、四季の農産物を通して農家の暮らしぶりや、農業のあり方を知って貰おうと、品揃えを充実させるべく、市場流通を加えた。

 そして、経営責任である。「みんなで、やろう」と言う言葉が安易に使われる。“みんなでやる”と言うことは、“みんなで責任を取らない”と言うことであり、変化に素早い対応が、とれない組織体である。協同組合という組織が、今行き詰まりを見せているのがその証拠である。また会社組織は、長くて100年の歴史しかない。平均30年の寿命だという。

その中で農家は、代々続けてきた。8代目9代目等というのはざらであり、それは“家業”として綿々と受け継がれてきている。(1代が30年とすれば、200年・300年と続いている)

 家業としての家族経営、そして年間を通して安定的商品供給の中で、岩手の農業の旬を伝え、農業のあり方を消費者と共に考え、そして高齢化する地域の人達に青果物を届け、地域に貢献をする。

そんな店が「直売所」というくくりで、捉えられて良いのだろうか?

先日、県の農政部から「直売所アンケート」を調査しに来た。

その担当者に“直売所とは、何か?”を問うたところ

「農家が自主的に、地元の農産物を販売する組織体」という。

当店の考え方と違う。そこで「脱 産直宣言」をする。

 直売所より ちょっと市民に近く

 八百屋より ちょっと農家に近く

 量販店より ちょっと農業に近く

 百貨店より ちょっと身近で

そして、地域に無くてはならない存在

はたして、この店を縦割り行政は、どのようにくくるのであろうか?