ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

なこうど

喪中欠礼のはがきが来る。
最初に来たのは…

仲人の奥さんだ。
仲人は昨年亡くなった。

後を追うように逝った。

魔子様は「仲がいいと後を追うというから…」と言う
小生は早く逝きそうだが
魔子様は長生きするだろう

 

「仲人」という“職業?”も無くなってきた。
そういえば娘のときも、息子のときも「仲人は立てなかった」

小生の時代は、「誰を仲人に立てるか?」が大きな問題だった。
社内結婚だったが転勤直後だったので、
前の上司か?新しい上司か?
の選択が求められた。

選んだ仲人は、オイルショックの在庫過多で多くの社員を希望退職の陣頭指揮をとり責任を取って会社を移っていった。

 

奇しくも先日、不意に戻ってきた孫は嫁が選んだ「ムージョンジョン」の服を着ていた
仲人が移っていった会社は「ムージョンジョン」と言うブランドを持った子ども服メーカーだった。

報恩講

報恩講の案内を掲示するのを忘れた。

EPSON MFP image

基本的には「政治」と「宗教」と「おかしな営業」は、店内の掲示板、ブログに載せないことにしている。
が…

これは別だ。

以前、怪しげな集まりの案内を持ってきた人に
掲示を断ると
「宗教と哲学と何が違うのだ?」と文句を言われたことが有る。

また「経皮毒」を説明すると言って「シャンプーを売りつける案内も来た。
どうやら新興宗教くさかった。

間際らしいパンフレットが時々紛れ込んでくる
が…

これは別だ

 

「内山節」は小生の師匠である。
もう付き合いは長い。
師匠と言いながら、不肖の弟子である。

思っていることの何分の一も出来ないものだ。
思っていることと理解していると違う。
ということを実感している。

どんな話をするのか、多くの人に聞いてみて欲しい。

零余子

氷点下の曇り空の朝
今日はどうなるだろうと思っていたら空が明るくなってきた
なんとかなりそうだ

ひきうり三回目ともなると準備がすぐできる。
すぐできると思うと油断する
やはり商品を忘れた
というよりも、間に合わなかった。

朝、パワフルに動いて商品づくりをしないと間に合わない
それには慎重な段取りと、軽快な動きが必要だ
ちょっとした戸惑いが、時間をロスする

今週のテーマは「零余子」だ。
意味がわからない人はチラシを…

そして零余子を忘れた(泣)

裸足と靴

二人の人間に会った。

一人は問屋の老セールスマンである。
一人は福祉施設の若き代表である。

老セールスマンは、嘆いた。
「流通業界は壊滅です」
「地方の小売店は、どんどん廃業に追い込まれている」
「大手の需要先は、本社で決めてくるので地方まで回ってこない」
「仲間の問屋も、人が辞めていく」
「運賃も人件費も、どんどん上がる」

福祉施設の代表は
「施設に子どもや老人を呼び込むことをやっている」
「地域の人に、施設を利用してもらいたいと画策している」
「様々なことをしてきた、福祉タクシーや福祉弁当、
上手く行かなかったが、やり方ではなかったか…」
「地域に根ざすと、さまざまな小さな需要が見えてくる」

 

そういえば、昔、読んだコラムがある
「裸足と靴」というショートストーリーだった。
商社マン二人がアフリカに靴を販売するという特命を受けた
一人は、アフリカの現地人を見て言った
「これはダメだ。みんな靴を必要としていない裸足だ」
もう一人は
「これはいける。みんな裸足だ。いくらでも靴を必要とする」

 

たぶん大きな目で業界を見ると見えてこないものが
目先の地域の個々の訴えを塊にすることで解決することが有るのかもしれない。

ふと積雪7センチの朝、想う。

介護

今朝のニュースで、「老人ホームで入所者殺害の容疑」が流れた。_(https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1114/jj_171114_0337304575.html)

認知症の母を介護しているといろいろと考えさせられる。
殺人は、当然否定されるべきものであるが…
介護という仕事の過酷さを理解してやりたい
その狭間の中で
働く若者を補う仕組みが必要であると思う

 

そろそろ母も、下の世話ができなくなってきた。
気温が下がるに従って、体温の感覚がなくなってきたのだろうか

床暖房・ファンヒーター・電気毛布・どんな暖房をしても
すべて朝になると切れている。
そして切れないと、コンセントを抜く
コンセントを抜いただけでなく、ブレーカーまで落とす。
戦前戦後の「もったいない精神」が骨の髄まで染み込んでいる

朝の仕事は、電気をつけて暖房をつけて朝食を食べるように促すが
温かい朝食は、すこしでも残して一日の食糧にとっておく。
そして1時間も経つとすべての電源を切って、電気も消してある。

お手上げである

やはりホーム入れなければ…
と思うが、老人ホームのさまざまな犯罪が流れるにしたがって
母と一緒に、大叔母の見舞いに仙台の老人ホームに行ったときの言葉を思い出す

「いやぁ〜ね。こういうところには入りたくないね」

饒舌だった大叔母は、車椅子で出てきたがうつろな目で、無口だった。
奥から、みんなで歌わされているのだろうか、童謡が流れていた。

長寿が良いことなのか?
「元気で長寿でありたい」と思っても。そうはいかないのが人生だ。

人口減少社会と言いながら、残された人口が老人ばかりでは
経済は活性化するのであろうか?

早く逝くのも、幸せなのかもしれない。

悪戦苦闘

チラシを作った

引き売りで配布用だ。
しかし、店でも配る
以前「入道の独り言」と言うチラシを作成していた。
(本当は「たこ入道の…」という名前だったが、
多くの人が「たこさん」「おい!たこ!」と叫ぶので止めた)
じゃんじゃん発行してネタがなくなって休止した。

こんどの再発行は慎重にしようと思って
週に一回のペースにしようとしている

 

一回目は

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会話

引き売りをはじめました

御用聞きも始めます

今、買い物をするところは、数多く有ります。

近くはコンビニ。ちょっと近くは生協。もうちょっと遠くは量販店。そしてデパート。そしてショッピングモールや産直、

おまけにネットでも…いくらでも買うことが出来ます。

なぜ引き売りなのか… なぜ御用聞きなのか…

 

それはコミュニケーションの原点!会話が、できるからです。

会話は、コミュニティの原点ではないか?と思うからです。

もののやり取りが、単純に物と金銭の交換で良いのか?

合理化と効率化で、マニュアルどおりの、人を介在しない物のやり取りが、良いことなのか?

そんな検証をしないで、人件費が高いからと言って、どんどん人を介在しない流通が出来ていきます。

そんな疑問を持って、このプロジェクトを始めました。

人と関わることは、面倒くさいことです。

しかし、人と関わらない人生は、寂しいものです。

十分な対応が、できないと思います

十分な品揃えが、出来ないと思います、

しかし、ある谷を超えた時、貴方だけのお店になり、貴方の品揃えができる、ゆたかな関係性の世界ができるのではないか…

そんな想いをもって、取り組んでみたいと思います

お米の美味しい新米の季節です。お店の「今すり米」は、西和賀町大田の有馬富博くんのひとめぼれです。

平成二十九年十一月六日      ちいさな野菜畑

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文章を作って飾りの柄ははめ込んでもらった

2回目は

文章は作った

 

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いものこ

秋もそろそろ終盤となりつつあります。

秋の食べものは数多くあります。

しかし一番多く記憶にある秋の食べ物と言ったら

「芋の子汁」と答えるのでは無いでしょうか?

(あくまでも個人の感想です(笑)

西日本で「芋の子汁?」と聞いてもピンときません。

なぜなら「芋の子」は里芋!という認識がないのです。

ひょっとしたら、岩手の方言かもしれません。

そして関西では芋の子汁という料理も存在しません。

山形でいう「芋煮会」や岩手の「芋の子食い」は、冬場の保存性の悪い里芋を大量に食べるために東北で行われた行事だという説があります。

だから西日本では里芋は、汁物でなく煮物なのです。

以前は河原で芋の子会を学校行事として有りました。

東北では、懐かしい思い出を多く人が持っています。

岩手の里芋は、北上の二子地区や盛岡の津志田が有名ですが、農協の合併で、いつの間にか地域とかけ離れたものになりつつあります。そんな里芋は、稲刈りと密接に関わってきます。

それは米の収穫前に掘るか、稲刈り後に掘るかで、大きく値段が変わってくるのです。稲刈り前に掘ると、値段が高いが、ちいさな芋が多いのです。稲刈り後は、しっかりと大きい芋が採れますが、値段が安いのです。そんな里芋も、七度以下の低温で保存できないので冬場は出回りません、

あくまでも秋の味覚なのです。いまのうちに是非どうぞ。

 

平成二十九年十一月十三日  ちいさな野菜畑

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画像にはめ込めない

二時間かかってようやく出来たが…
細かいところが不満足だ

バージョンアップをするたびに時間がむやみにかかる

一太郎を使っていた頃が懐かしい
ひょっとしたら「一太郎」はもうないのか?

少欲知足

さまざまな大企業が、さまざまな問題を起こしてマスコミに騒がれている。
ほんの少し前

大企業(一部上場会社)という信用は重かった

商社に入社したときに

一流のところからものを買って、一流のところへ売るのが、一流の商社だ。

と教わった。
一流のところは、万が一問題が起きても対応は万全だ。と想っていたが

「万が一」どころではない。
頻繁に…と言うか、常態化している問題が数多く起きている。
これで一流の大企業といえるのか…
一昔前の言葉が、だんだん軽くなってきた

これは企業の問題ではなく
たぶん資本主義の問題なのではないだろうか…
「そういう宿命にある」という…

資本を投じて利益を上げて経費を賄うと言うシステムは、常に拡大を伴う
その拡大が一杯一杯になってきたのではないか
拡大しないで分散を望んでも、こんどは企業の精神が薄まる
ようするに二流三流になってくる。

はちきれそうに膨らんだ大企業と
二流三流に落ちこぼれた小会社グループと…

そんな大企業グループと、新興企業の争い

 

そんな構図が頭のなかに浮かんだ。

いずれにせよ
グローバル、はどこかで行き詰まるだろうと思っていたら
さっそく自国最優先のトランプが出て世界に広がっている。

そこから戦争になるのか…

その土地に根ざした循環型家族経営が、一番安心できるのか…
ところが人間は、「野心という向上心」をもった動物である

「少欲知足」と言う言葉が、身にしみて思うのは、いつのときか…

冬の時代に向かう朝の戯言である。

家政犬は聞いた

武田君の米が、まだ揃わない

新米の時期だと言うのに…

ヒマをぬって出かけていくが
農具の掛かった精米調整小屋には、誰もいない

しかし、彼の小屋はきちんと整理してある

整理整頓が出来ない農家が多いのだ
きれいに包装されている農産物を産直で見かける。
その農家の住まいの上り框や、小屋の中は雑然としているところが多い。
産直とは「顔しか見えない関係」である。
整理整頓が出来ていないところが、美味しいものができるはずがない。

武田くんは。コレだけでも信頼できる農家である
(納期以外 苦笑)

彼は市議会議員でも有り、ある党の青年部長でもある
もう50も過ぎた青年であるが…

だいたい農家は齢をごまかしている
若奥様の会という50歳を遠にすぎた女性の団体もあるくらいだ。

議員二期目の武田くんは、忙しくて本業の農業が、なかなか出来ないのだ
出来ないと言って、こちとらはすまない

武田くんに催促にゆく

もみスリ機の大きな音がする小屋の、
まだ音が聞こえないところで一生懸命電話をしている姿が見つかった。

目線の先には、雄大な岩手山が上半身だけ見える。

嬉しいことが有ったらしい。
嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて電話を終えた。

そして
「これはまだまだ、誰にも喋っては駄目ですよ」
と言いながら話してくれた

”だれにも、話すな”と言いながら…

庭のワンコは聞いていた。

冬の時代

もう秋も深まった

庭は、紅葉の落ち葉におおわれ

渋柿も落ちた

 

西側の窓辺に植えた柿の木も裸だ。
すっかり葉が落ちて、冬の西日が当たるようになった。

ストーブの上には、ちんちんと湯が湧き、大きな鍋に大根が煮えている。
茹でた大根に、激辛の海鮮唐辛子を乗せて食べるのが最近の好物である。

いくらでも入る。
辛くて美味しい。(あくまでも個人の感想である)

いよいよ冬が来た。そろそろ初雪の便りが聞こえるころだ。

人生も、そろそろ冬の時代か…

ひきうり

引き売りを始めた
前からのアイディアなのだが…
就労支援をしているグループに、若者に御用聞きをさせたらどうか?
というアイディアである

いろいろと問題意識を持っていると、さまざまな状況に合わせて多様なアイディアが湧いてくるのだ。
アイディアの人(企画)で、経営の人でないと言うことかもしれない(泣)

今の若者は、会社に入るが、会社は人を育てる余裕がない。
そこの門前で、シャットアウトされた人
中に入ったが、落ちこぼれた人
また門前まで、いけなかった人

と言う若者が多くいると聞いた。
そんな若者と一緒に、自分が原点に還ってもう一度「売る」ということを考えてみよう。と思うのだ。(思うのは誰でもできるが、実行はなかなかできない)
たまたま困窮者支援のグループが、そんな予算があるというので乗っかったのだ。

若者二人とボランティア二人の4人で、とりあえず二箇所で始めた。

来店者にチラシを配った。

 

会話がなくて買い物ができる社会である。
そこで育った若者は、基本的な会話を知らないのではないだろうか…
我々は「売り買い」をすると言う行為から、外部との付き合いを学んだのではなかったか?

駄菓子屋に入るときに岩手では「もぉっす」と言ったり
仙台では「お〜くれ」と言って入ったり基本的な挨拶があった。
ちいさな頃から、そんな会話があったのだ。

そして売るというのは、自分が喋るということではなく
相手に喋らせる、会話が成り立つしかけが必要なのだ

それをもう一度基本に立ち返って確認してみようと思うのだ

思うのは誰でもできるが、実行はなかなか出来ない。

とりあえず一回目は終わった。
若者は、黙ってみていただけであるが…

片付けが終わって、店で昼食を食べ、精算を終わって帰るときに

一人の若者の眼が輝いていた。
それだけで救われた思いがする

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